2010年12月14日火曜日

[news] ウトロ土地売却 破談危機 債権の配分案、宇治市が拒否

大変こまった状況になりました、、。住民サイドがどうにかできる話でないだけに、さらに困った。

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ウトロ土地売却 破談危機 債権の配分案、宇治市が拒否


京都新聞【 2010年12月14日 08時32分】
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20101214000015

 在日朝鮮・韓国人が多く住む宇治市のウトロ地区で、韓国政府の支援金による土地売却計画が破談の危機を迎えている。計画は最終段階に入っていたが、土地を差し押さえている宇治市が、地権者の示した債権配分案を拒否した。韓国政府を巻き込んだウトロの土地問題の解決は大きく後退する恐れが出てきた。

■韓国支援の計画、最終段階も…

 ウトロの土地問題は2007年11月、韓国政府が5億ウオン(当時約3億8千万円)の土地購入支援金の支出を決定。民間資金と合わせた5億円で地区の東半分を住民側と韓国政府側の2財団が買い取ることで関係者が合意した。

 すでに住民側の財団が寄付などで集めた1億3千万円で東側土地の一部約2750平方メートルを購入。一方、韓国側財団は韓国政府の支援金が為替の変動で目減りしたため、当初予定の約半分の約3800平方メートルを1億8千万円で買い取る交渉を進めてきた。

 地権者の西日本殖産(大阪市北区)によると、土地は同社の固定資産税滞納で宇治市が差し押さえ、整理回収機構(RCC)も債権を持つ。西日本殖産は今年9月、支援金1億8千万円から諸経費を除いた全額を両者に分配する配分案を提示した。

 市は、RCCに優先して約3千万円を受ける権利があるが、同社は「RCCの配当を増やす代わりにウトロ全土地の抵当権を解除してもらえる」などとして約1300万円に減額。市はRCCが受諾した後の10月下旬に配分案を拒否した。

 宇治市の木下賢二税務室長は「全額(約3千万円)を回収しないと税の公正さに欠け住民訴訟になると判断した」と話す。一方、西日本殖産の大畑康一社長は「市は計画の最終段階になって突然反対した。会社に財産はなく、残された道は住民立ち退きの強制執行しかない」と話している。

 ウトロ町内会の役員は「問題解決を切望しているが、売買の直接の当事者ではないのでコメントできない」と話す。土地を購入する韓国側財団理事長のハイ薫弁護士は「韓国国会への報告が必要なので、一刻も早く問題を解決して」と願っている。

<ウトロ地区> 太平洋戦争中、京都飛行場の建設に従事した韓国・朝鮮人の宿舎が置かれ、戦後もとどまった在日1世と子孫ら約200人が住む。地権者による住民の強制立ち退きの恐れがあったが、韓国政府の土地購入支援で危機は回避。住環境整備などを検討する国、府、宇治市の協議会が設立された。


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【追記】

「進行中に事態やのに、一方だけのリーク内容になってるのでは?」 との意見アリ。

2010年12月12日日曜日

[news] ウトロ、ウオン安苦。土地買い取り支援金 目減り

ウォン安ショックは痛手すぎ。超難航。

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ウトロ、ウオン安苦。土地買い取り支援金 目減り/京都・宇治
2010年12月12日、朝日新聞(大阪本社版)



 戦時中から在日韓国・朝鮮人が暮らす京都府宇治市のウトロ地区で、居住権の確保をめざす住民側が、地権者の不動産会社から土地約1ヘクタールを5億円で買い取る計画が窮地に立たされている。韓国政府の支援金が最近の円高ウオン安で目減りし、購入代金が足りなくなったためだ。高齢化が進む住民らに不安が広がっている。(合田禄)

 土地所有権がない住民側は2007年、地権者の不動産会社「西日本殖産」(大阪市)から、地区の半分にあたる1万500平方メートルを5億円で買い取る契約を結んだ。資金のうち約1億3千万円は、日韓両国の支援者からの寄付や募金などで調達。残額は韓国政府が支援金30億ウオン、07年末時点の通貨レートで約3億8千万円相当を支出すると決めた。
 今年5月には民間支援分の代金が支払われ、土地の一部2750平方メートルの所有権が住民側に移った。しかし、韓国政府の支援金は受け皿となる財団設立に手間取っている間に為替相場が円高ウオン安で推移し、支援金は円建てで2億円余に目減りした。
 駐大阪韓国総領事館(大阪市)の李滋弘領事は「為替の変動は予想出来なかった。追加支援は考えられない」とコメントする。

 事態をさらに複雑にしているのが、土地のからむ債権の問題だ。西日本殖産が所有する地区の土地には計3億円余りの抵当権などが設定されており、同社は住民側が払う土地代金でこれらの債務を清算する予定だった。手持ちの資金が目減りした住民側は追加の購入面積を約3800平方メートルに減らすことにした。しかし、同社は「土地の一部売却に必要な債権者の合意が得られない」としており、売買交渉は難航しているという。

 ウトロ地区に暮らす約230人のなかには、一人暮らしの高齢者や生活保護受給者も多く、住宅の老朽化や浸水被害にも悩まされてきた。土地の売買交渉が長引いたことで、街づくり計画もたなざらしになる心配も出てきた。
 国交省と京都府、宇治市は07年、「ウトロ地区住環境改善検討協議会」を設置。上下水道の整備に向けて地区の実地調査などの準備を始めた。しかし、売買交渉の行き詰まりから、協議会も08年秋以降は目立った活動をしていない。同市の担当者は「再開は土地の問題が解決した後になる」と説明する。ウトロ町内会の役員は「住民の高齢化が進んでおり、早期の解決を望む」と話す。
 ウトロ地区には戦時中から、飛行場建設に従事した朝鮮半島出身者が住み始めた。1987年に土地を取得した西日本殖産は住民に明け渡しを求めて提訴。00年に最高裁で住民側の敗訴が確定した。