2008年5月27日火曜日

[news] 63年目の「戦後処理」 伊丹・中村地区/神戸新聞NEWS

「「中村」の名を外すことに住民の抵抗がなかったわけではない。「存在したことすら忘れ去られてしまうのではないか…」」

という部分に、グッとくるものがあります。事情をよく知るわけではないので、ようやったなぁ、、と。

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63年目の「戦後処理」 伊丹・中村地区/神戸新聞NEWS



http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200805sengo/01.shtml
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200805sengo/02.shtml
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200805sengo/03.shtml

「(下)再出発新しいまちに希望託し」より部分引用↓

市営住宅二棟全九十五戸への入居と、三十六事業所の大半が移転したのを受け今年四月、新しい自治会が発足した。「市営桑津住宅自治会」。空港レーダーサイト用地転用に伴う新たな地名「伊丹市桑津四丁目」にちなみ、中村地区自治会から衣替えした。

 「中村」の名を外すことに住民の抵抗がなかったわけではない。「存在したことすら忘れ去られてしまうのではないか…」。戦後のほとんどをこの集落で過ごした自治会長朱宗燮(チュチョンソプ)さん(69)は、複雑な心境をのぞかせる。

 レーダーサイト跡地への集団移転計画が持ち上がってから半年が経過した二〇〇二年四月ごろ、旧中村地区自治会が約百六十世帯と約五十事業所を対象に、移転の賛否を問うアンケートを行った。住民には長年暮らした「第二のふるさと」から離れがたいとの思いもあったというが、賛成は八割を占めた。

 その背景には、建物補償の方針が伝えられていたほか、「ウトロ訴訟の影響もあった」(住民の男性)という。

 京都府宇治市にあるウトロ地区は中村と同様、戦時中、軍用の飛行場建設に携わった朝鮮人が住んだのを機に戦後、在日コリアンらが定住。訴訟は土地を所有する不動産会社が立ち退きを求め起こし、二〇〇〇年十一月、住民側の敗訴が確定していた。

 その後、日韓の支援組織の働き掛けで住民土地の半分を購入することになり、韓国政府も資金援助を決めたが、裁判結果は中村の住民らの決断を促した。「高齢者などが路頭に迷うことになりかねない、強制的な立ち退きだけは避けたかった」

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/青ひょん