2008年11月26日水曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(6)

<レジュメ (5)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

6.行政による住環境整備事業の実施にむけて




地方行政を事業主体とする小規模住宅地改良事業を円滑に進めるには、住民と行政が十分協議して、互いに得意な分野をすり合わせして、出来ること出来ないことを確認し課題を共有することが大切です。また、行政は住宅を建てる場合、住民が何も言わないと一般的な住宅になりがちです。ウトロ住民にとっては、自分たちの生活スタイルをどのように継続するのかが問題であり、住民に必要な施設、たとえば「お祭り(多目的)広場」などについては、住民が優先順位をつけてまず実現していくこと。いまの世代だけでなく次の世代のことも考えることが必要です。行政に対する説得力を持つには、前向きに事業を進める住民側の現実性のあるリアルな提案が不可欠です。また、国土交通省の住環境整備事業やこれに関連する事業メニューは幅広く、いろいろ組み合わせも可能です。

事業主体となった行政は事業の必然性とその効果を、一般市民や議会に説明しなければなりません。事業は個人の利益のためでないという公益性や、将来にではなくいま必要であるという即時性がその説明のポイントとなるでしょう。

そのためにはウトロ地域だけでなくより広い地域の住民要望などを先取りして組み合わせ、公共性のある内容にすることです。また、作られる公共施設の維持管理にはランニングコストがかかります。これの負担を軽減する住民側のアイデアもほしいところです。ウトロの場合、災害や河川管理という問題が、宇治市全体の問題として背景にあります。災害の防止については抜本的な対策が必要であり、事業実施のメリットを計算すべきです。ウトロの将来については、10、20、30年後まで考えて、コミュニティ計画を考えていきましょう。




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以下、青ひょん(引用者)

<「事業は個人の利益のためでないという公益性や、将来にではなくいま必要であるという即時性がその説明のポイント」
その通りですよねぇ。

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「7.ウトロ地区と事業の概要」に続く

2008年11月25日火曜日

「在日特権を許さない市民の会」の「京都ウトロ遠征」

在日特権を許さない市民の会
zaitokukai.com
12月13~15日 京都ウトロ抗議活動・親睦会

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件名 京都ウトロ抗議活動・親睦会
開始日時2008年 12月 13日 (土曜日) 17時00分 (GMT+09:00)
終了日時2008年 12月 15日 (月曜日) 17時00分 (GMT+09:00)
場所 京都ウトロ抗議


史上初!京都ウトロ遠征決定
ウトロ不法占拠を続ける無法者在日を許さないぞ!
国民の税金を犯罪在日に垂れ流す異常行政を断固糾弾するぞ!

在特会親睦会 in 京都

京都ウトロ遠征に先立ち、会長桜井誠を囲んでの親睦会を京都で開催します。在日問題や政治問題など活発な談議を通して、京都在住の会員の皆さまとの親睦を深めたいと思います。在特会会員でない方も参加いただけますので、お気軽に参加申し込みください。
なお、会場手配の都合上、親睦会参加申し込み受付は12月5日(金)18:00までとさせていただきます。お早目の参加申し込みをお願いします。

【日時】
平成20年12月13日(土)18:00から2時間程度を予定

【場所】
JR二条駅近辺の居酒屋を予定

【会費】
一人3500円

【申し込み方法】
1.会員番号(非会員の方はその旨記載してください)、2.お名前、3.メールアドレスを書き添えのうえ、下記まで申し込みください。
会場など詳しい情報は決まり次第ご連絡いたします。

親睦会参加申し込み先
zaitokuhantai2@gmail.com


京都ウトロ遠征スケジュール

平成20年12月14日(日)

1.近鉄大久保駅前にて抗議活動

【集合場所】
大久保駅改札前(西側)

【時間】
13:00〜14:00

2.広報車にてウトロ地区巡回

【時間】
14:30〜15:30


平成20年12月15日(月)

1.宇治市役所にてウトロ問題担当者と面談
  在日側の無法要求を是認する市長への要請文提出

【集合場所】
13:00までに宇治市役所前に集合

【時間】
13:00〜13:30

2.宇治市役所前にて抗議活動

【時間】
13:30〜14:30

【主催】
在日特権を許さない市民の会

※面談の時間によって以降の時間帯が変更される場合があります。
※両日ともプラカード持参歓迎
※雨天決行

最終更新日 2008年 11月 19日 (水曜日)


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「Doronpaの独り言」より
京都ウトロ遠征のお知らせ/親睦会参加者募集


【経緯説明】

戦後60年以上も在日韓国人たちが不法占拠を続ける京都ウトロ地区は、日本の在日問題を凝縮したような場所です。戦後、GHQによる競売によって日産車体の土地となった同地区では、在日たちが居座り続け数々の問題を引き起こしてきました。その後、さまざまな経緯を経てウトロ地区は日産車体から同地区の自治会長だった許昌九に3億円で売却され、さらに許は3億円で買ったウトロ地区の土地を同じ在日の河炳旭(当時の民団京都地方本部団長)が設立した会社に約4億5千万円で転売したのです。このように在日同士で土地ころがしを続けてきただけの話であり、それに振り回された住民がいるにせよ同地区の混乱の責任は結局在日側にあるのです。それがいつの間にかウトロ問題は「日本における強制連行された可哀想そうな在日」の象徴となっているのです。(なお、一連の裁判でウトロ地区の在日たちは自分たちが強制連行と関係ないことを認めています。)

平成19年になってようやく同問題は解決の兆しをみせ、現在同地区の土地を所有する西日本殖産にウトロ地区の在日側が5億円を支払い、土地の半分を買い取る合意がなされました。しかし、今度はその買い取った土地を政府もしくは自治体に5億円以上で買い取れと要求してきたのです。さらに不法占拠を続けてきた犯罪在日の要求はエスカレートしており、

1.公営住宅(住めるのはウトロ地区を不法占拠してきた犯罪在日のみで、家賃も減額又は無料)、福祉施設、歴史資料館を建設すること
2.下水道など環境整備も行うこと
3.いつでも民族楽器が使えるように住宅には防音装置をつけること

など要求しています。あまりにも盗人猛々しい在日側の要求は怒りを通り越して呆れ果ててしまいますが、なんと山田京都府知事や久保田宇治市長(宇治市はウトロ地区の所在自治体)がこれらの要求を呑む姿勢を示しているのです。要求を満たすための予算は当然市民・府民・国民の税金であり、そもそもこのような無茶苦茶な要求をのむことは、在日によるウトロ地区不法占拠という犯罪行為を是認することになります。法治国家日本において犯罪は許さない、在日のやりたい放題は許さないと在特会は史上初めて京都ウトロ地区に直接乗り込み、国民として抗議活動を行うことをを決定しました。

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以下、青ひょん(引用者)

<「日本の在日問題を凝縮したような場所です。」
そうとも言えるかもしれないけれど、同時に、ウトロの固有な問題であり、ウトロをして「在日問題」を語ると間の抜けた面も出てくる。「在日特権」を許さないというか、どうせやるなら個別に「ウトロ特権」を許さないという立ち位置で語らないと、もともとの「在日特権を許さない」という立ち位置が「あぁ、何でもありなんだな」と誤解されるのではないかと、人ごとながら心配する。

少なくとも行政はいわゆる「在日問題」を解決するという建前は語っていない(良きにしろ悪きにしろ)。

しかしながら、「ウトロだけ特別なのではないか?」といった声が存在するのもひとつの事実であろうと想像するし、また、「ウトロ特権」と後ろ指さされるような「町づくり」は、地域も、ウトロ住民も、関わっている人間も、皆が望んでいないことであるので、是非に、皆が納得できるようなアイデアを行政や町内会へ表現して欲しいと思います。

ウトロのアジメとかだと、町内に来てもろたら「よう勉強してはるねぇ~」とお茶出しかねないよな、、、と想像してたんだけど、なんだ、町内は「広報車」でまわるだけなのか。威圧感ばりばりでコンタクトされないことを望みます。お互いに気分が悪いからねぇ。

個人的には、残念ながら私用で「親睦会」には参加できないんだよな。残念だ。こういう場で直接話を続けることが、筋通しにもなっていくのだが。


<「ウトロ問題は「日本における強制連行された可哀想そうな在日」の象徴」
え? いや、それはなってないだろう。なってるの?(なってると個人的には嫌なんだが) 韓国国内で民族右派がそう喧伝したがっていた(喧伝した)という背景はある。でも、現場のトーンはそうじゃないぞ(と個人的に思っているぞ)。


<「このように在日同士で土地ころがしを続けてきただけの話であり」
京都府や日産車体が、どうして無関係な主体になってしまうんだろ。まぁ、まだ解けてない謎もあるけど、カタがついた話もあるので良いのかな。


<「今度はその買い取った土地を政府もしくは自治体に5億円以上で買い取れと要求」
え? なんのことだろう。僕は知らなかったなぁ。


<「1.公営住宅(住めるのはウトロ地区を不法占拠してきた犯罪在日のみで、家賃も減額又は無料)」
元ウトロ住民のみが公営住宅に入ることができるというルールになるならば、それは「公営住宅」と呼ばないで、別の呼び名が必要だよね。身寄りがなく、自分の家屋を潰した後、新しい土地家屋を購入建設できる力が無い、行き場の無い高齢者が住民の中に居ます。彼彼女らが残りの人生をできれば友人たちと過ごせるような場所作り(公営住宅など)は、住民はじめ援助して下さった方々の願いです。

韓国政府の財政支援もあり何らかの表現(歴史資料館)は「有り」の方針で動いているようですが、個人的にはもう少し小さいスケールで何かできないのかな、、、と思ってたり、、。

「在日特権を許さない市民の会」では、ウトロにおいて誰の何の金がどう使われるのか、どう分析しているのかよく判りませんが、「犯罪在日」って、、、。行政にうっかり、「在日韓国人在日朝鮮人は犯罪者でありウトロ住民は犯罪者であり、即刻、強制退去か死を与えるべきである」と思っていたとしても(?)口に出さないことを願います。きっと、どん引きされます。だいたい、行政対応が遅いです。もっと昔の段階なら宇治市に歓迎されたかもしれないのに、、、


<「2.下水道など環境整備も行うこと」
そうか、公共の共用空間のライフライン整備を願うこともおこがましいことなのか。


<「3.いつでも民族楽器が使えるように住宅には防音装置をつけること」
騒音問題はどこでも大変だからねぇ、自分ん家の隣で、気分悪いときにケンガリ鳴らされたらゲンナリするわな。で、そんなお願いもあったかもしれんけど、ベスト3?の3番なんや!?(笑い  僕が住宅の設計者なら例えば15世帯ごとに、カラオケしたり楽器を叩けるような設備の整った部屋を盛り込むけどなぁ。「そんなもんいらん、アカン!」って言われたらしゃぁないけど、そのときは、自分たちで何とかするんちゃうかなぁ、、。でも「あまりにも盗人猛々しい在日側の要求は怒りを通り越して呆れ果ててしまいますが」というのは言いすぎでは無いだろうか? いや、感性はそれぞれだから止めときましょう。




「在日特権を許さない市民の会」の今回の活動が、市民、近隣住民にとって実りあるものになるよう願い、また、その活動を通じて「ウトロ特権」なる特権が無いように、市民、近隣住民が納得できる町づくりになるよう願っております。

また、つっこまんでええところに足つっこんでもうたという感想にならないことを願っております。

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追記

Doronpaの独り言の該当記事に、以下のようにコメントしときました。余計なことかもしれんけど、、まぁ、いいか。 --

<ウトロ
「5億円以上で買い取れと」

この部分、住民が転売し利益を得るよう望んでるように読めるが、それは無いので、そうではなくて、住民が買い取れない残り半分を、地主は5億以上で買いとれと要求しているとかな話にすればどうでしょう? 地主がそう要求してるかどうか知りませんが^^; 地主も住民も「在日」。「在日」に税金使うな!という文脈では破綻してないかもしれません。勇み足になってるみたいなので書きました。
http://utoro.blogspot.com/


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[まちづくり] 第10回ウトロまちづくり研究会、、干し柿など 、 re:ウトロ不逞在日への反撃ウトロ不逞在日への反撃 に少し続く

2008年11月17日月曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(5)

<レジュメ (4)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

5.まちづくり研究会で議論




雑誌「高瀬川」にはウトロ問題が毎回、収録されてきました。特に、土地の利用と所有のあり方を考えるうえで、コモンズ(共有地)の研究は、ウトロ・コミュニティの将来計画に大きな示唆を与えるものでした。2008年1月に研究者や支援者が住民とともに新たなまちづくり研究の組織をつくりました。ウトロのまちづくりの目標は、 「ウトロ住民は在日朝鮮人コミュニティとその文化を守りながら、周辺の日本人地域社会とも共生してこの土地に住み続けたい」 という住民の願いを実現することです。もともと、ウトロ問題は「居住の権利」の実現の問題のみならず、現代の植民地主義や民族差別と深く結びついた歴史的・社会的問題でもあり、まさに「在日」社会の象徴と言えるでしょう。


日本行政による住環境整備事業の実施により、住民の居住の確保(立ち退きの結果、ホームレスにされないこと)を実現することを前提に、まちづくりの基本項目として、先にあげた3点。繰り返しますが、


(1)みんなが暮らせる公的住宅と高齢者福祉施設の建設、

(2)ウトロ・在日の歴史を継承する『歴史記念館(仮称)』の建設、

(3)多くの市民に開かれた『コミュニティセンター』の建設、



これを町内会は目標としました。


研究会では、まちづくりの計画のあり方について、多くの事例を紹介し、論議を重ねてきました。また、住環境事業の実施例を住民とともに訪問、見学しました。大津市唐先(市営住宅の建替、デイサービスセンター)と京都市南区東九条(1階は特養老人ホーム。2階以上は市営住宅)です。また以下の参考事例を紹介しました。


1、平屋木造の公営住宅(京都府与謝野町岩滝。京丹後市網野)

2、コリア公園や記念館(鳥取県琴浦町日韓友好交流公園「風の丘」、横浜市鶴見区の県立「三ツ池公園」のコリア庭園)

3、川崎市の在日集落である戸手地域の現状と桜本地区の「川崎在日コリアン生活文化資料館(ネット上)」

4、兵庫県芦屋市若宮地区の震災復興住宅環境整備事業

5、震災地・神戸市長田地区の現状と新潟県長岡市山古志の公営住宅

6、宇治市木幡の「あじろぎ横丁」(コーポラティブ住宅)

7、兵庫県芦屋市若宮地区の震災復興住宅環境整備事業、など


グループリビング(コ・ハウジング)について、人々が集まって住む、その基本的な考え方と北欧での先進地の事例、日本での実施例などが紹介されました。また、木造公営住宅に注目して、国土交通省が作成したパンフレットにある具体例を画面で紹介しました。

1、秋田県営手形山住宅(木造3階建、その他)

2、青森県営多賀台団地(木造連棟長屋・タウンハウス)

3、岩手県営鳴石団地(木造連棟長屋・タウンハウス)

4、兵庫県宝塚市切畑住宅(木造3階建、枠組壁工法)




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以下、青ひょん(引用者)

<基本項目
基本項目については、何度か触れたけれど、、、まぁ、いいか。それよりも、話題についていけない。知らない物件が半分あるよ(つд`) 

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「6.行政による住環境整備事業の実施にむけて」に続く

2008年11月14日金曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(4)

<レジュメ (3)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

4.「新しいまちづくり」の基本項目




最高裁上告棄却による立ち退き判決の確定から7年目、2007年後半からウトロをめぐる状況は画期的に好転しました。日本と韓国の市民運動によって日本政府と韓国政府が動き出して、問題解決への道筋が見えてきました。2007年10月にはウトロ町内会が設立した「中間法人ウトロ町づくり協議会」と(有)西日本殖産がウトロの土地(半分)の売買契約を締結しました(5億円)。ウトロ住民と土地所有者・西日本殖産との対立は解消しました。これにより住民は強制立ち退きの危機から、ひとまず救われたのです。


2007年11月には京都府知事と宇治市長が東京に出向いて国土交通大臣に改善要望を行い、12月5日には国・府・市の3者の行政側連絡組織「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が発足しました。12月9日、ウトロ町内会と守る会は、「さあ、新しいまちづくりへ!ウトロ報告集会」を開催し、今後の新たな運動の方向を考える第一歩としました。


ウトロ住民の要求の中心は、日本行政による住環境整備事業の実施であり、その前提の上に、基本項目として、(1)みんなが暮らせる公的住宅と高齢者福祉施設の建設、(2)ウトロ・在日の歴史を継承する『歴史記念館(仮称)』の建設、(3)多くの市民に開かれた『コミュニティセンター』の建設の3点です。今回のウトロまちづくり計画は、韓国からの支援や日本政府の住環境改善事業の実施が見えてきた中で、より具体的なものが求められています。対立してきた土地所有者の西日本殖産が「まちづくりのパートナー」となりました。


2007年12月末には韓国国会(2008年度予算)で30億ウォン(約2億円)のウトロ土地買収にかかる支援予算が可決されました。


宇治市は都市づくりの基本理念として、「緑豊かな、住みたい、住んでよかった都市」とし、「豊かな自然や文化・歴史的遺産を守り育て、未来に引き継いでいくことによって、住む人が誇りと愛着を感じることのできる宇治を創造することを目指す」と述べています。この理念を是非、ウトロ地区でもまちづくりの中で生かしていきましょう。




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以下、青ひょん(引用者)

<韓国国会(2008年度予算)
さぁ、急がないと!(笑い

しかし、これだけ政治が動く状況を作りだしたとは、本当にご苦労さまでした。>頑張った人

あとは実務屋、がんばろうや。

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「5.まちづくり研究会で議論」に続く

2008年11月12日水曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(3)

<レジュメ (2)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

3.ウトロ・コミュニティ




2002年6月、在日コリアンの高齢者福祉に取り組むNPO、京都コリアン生活センター「エルファ」の分室がウトロで開設されました。ハルモニ(おばあさん)たちを、同胞のヘルパーが世話をするデイサービスが始まりました。


「植民地時代に朝鮮半島から日本に渡ってきた一世たちは苦難の人生を送ってこられました。高齢になって一人暮らしになったり、親しい友だちを亡くされたり、さびしい思いを抱いたハルモニたちが、ここに来て、古い友だちと再会し、昔懐かしい話に花を咲かせたり、チャンゴの音に乗って、忘れていた歌を歌ったり、踊ったり、一緒に体操をしたり、いろいろな工作物を作って遊んだり、ハルモニにとっては孫のようなヘルパーさんたちに甘えて、楽しい時間を過ごしています。ハルモニたちの誕生日会では、その月に生まれたハルモニたちをきれいに化粧して、チマチョゴリを着せて、写真をとって、ご馳走を並べて祝ってあげるのです。そんな、普通のウトロの住民が、安心してここで暮らせる日が来ることを願っています。」(住民のひとり)


「いつ立ち退きされるかと不安をかかえる中で、この地域の高齢者たちのくつろぎの場ができたことは意義深い。ウトロは在日コリアンの証言の場。苦労を重ねて来た人たちの笑いの拠点であってほしい」と、金教一町内会長。ウトロを在日朝鮮人の地域福祉の拠点にする取り組みが始まりました。


長い年月の経過とともに、ウトロ集落の実態も大きく変化してきています。人口が周辺に流失して、地域内に空き家も目立つ状態になりました。とくに比較的経済力のある若い世代(標準世帯)がウトロから近くに転出し、生活保護、高齢者単身世帯などの「社会的弱者」がウトロに残るという傾向が続いています。子どもの数が減り、成長すれば外に出て行きます。在日一世の高齢者はこの地を離れてはとても生きていけません。高齢者のみの世帯の場合も多くあります。


地上げ事件の発生から20年間、ウトロ地区内では住宅の新築、増・改築はほとんどなく、木造家屋は経年による老朽化により居住条件がますます悪化しています。周囲の住環境の劣悪さも放置されたままです。毎年のように豪雨時には周辺の公共水路が溢れ、床上・床下浸水する被害が発生しています。ウトロ地域には未だに上水道がなく、飲み水を井戸水に頼っている世帯が3分の1あります。また、高齢者はウトロ・コミュニティの中だけで一日中生活しており、高齢者住民の居住実態はすでに限界を超えています。特にトイレ、風呂場、玄関などの部分的な改修工事(バリアフリー)の必要性も増しています。また、介護保険制度など、利用できる制度や内容について住民の知識は十分ではありません。


戦後半世紀以上、ウトロの土地は朝鮮人全体の歴史的、社会的共有財産であるかのように、在日朝鮮人社会では広く認識されてきました。土地の譲渡や売買は共通の価値観で結ばれた朝鮮人同胞の間だけで行われてました。多くの場合、口頭だけで契約書はなく、トラブルもありませんでした。仮にトラブルがあったとしてもその社会の中だけで解決されました。朝鮮人コミュニティとその社会規範の中で、住民は安心して生活できたのです。そして、その土地は居住を支える基礎でした。ウトロの土地は単に金銭売買の対象とされる商品でも、資産ストックの手段でもありませんでした。土地は人間が定点で生活するための基盤であり、居住福祉の向上のために利用する社会的資源です。


ウトロは「在日朝鮮人のふるさと」であると同時に、周囲の日本人地域社会と共生するメッせージを発信する拠点であることが求められています。



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以下、青ひょん(引用者)

<「エルファ」
よう開業してくれはったと思います。老人デイサービスセンター、介護事業業界に携わる方ならお判りいただけるでしょうが、エルファも同じく大変厳しい状況で業務を行っていると聞きます。悩みのたねは尽きることがないですね、、。(僕個人の仕事的には、介護事業業界、福祉事業業界に係わりあいがないので実際のところ実情をよく判っていません)

<「上水道がなく」
土地裁判闘争の前夜、「水道無くて困る!なんとかならないか!?」と対行政の取組みの中、地域内のメイン通路に上水本管を敷設して頂く経緯がありました。消火活動に用いる消防水利(消火栓バルブ、100m包含)の設置のためにも上水本管が必要だったわけです。アスファルト本復旧はなされてないままですが、上水本管の敷設が行われました。 しかしながら、本管から延長距離の短い世帯は良いのですが、遠いと、自己負担による上水の引込み工事は結構な金額になるので → 諦めて → 今までどおり井戸水ポンプアップ、、、ということで、上記の通り世帯の3分の1は上水道を使用できておりません。その後、大腸菌騒ぎがあったりで、結構やっかいです。

<「多くの場合、口頭だけで契約書はなく、トラブルもありませんでした~~」
驚く話だけど、僕も実例を幾つか聞いており知っている。ウトロ住民の多くがそうであったのかは知らない。また、その「ウトロルール」がどのような前提に基づくものなのか、、、なんて辺りは、殆ど誰も明確な認識を持って居なかったのではないかな、、、と想像する。

少しズレる話だけど、僕の実家(大阪)でも生活互助組織みたいなものはやっぱりあって、その全体像は見えないんだけど、ケモイム(契集会?)(韓国風「たのもし(頼母子)」みたいな生活互助)の繋がりもあった。村社会内ルールとかの経験の無い新興住宅育ちの僕の妻には、町内会のようなものだと説明するが、何というか、よく判らない「結びつき感?」とかは、想像つかんだろうなぁ。

翻ってウトロにだけで通じる(通じた)そういったルールの「なんとなく、そうなんだよ」という感覚は、よそ者の僕には体得できないものなのかもしれない。

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「4.「新しいまちづくり」の基本項目」に続く

2008年11月11日火曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(2)

<レジュメ (1)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

2.オモニのうた




住民は団結して裁判闘争を続けましたが、裁判後の対応も考えるようになりました。京都地裁でまだ係争中の1995年ごろに作られたのが、「ウトロ・コリアタウン」プランです。日本行政が住環境整備事業(小集落改良事業を想定)を実施して、地域を全面的にクリアランスする。道路・水道をつくり、改良住宅に住民は移転する。残りの土地は町内会の共有地として残す、あるいは住民に分譲する。日産から企業メセナを加える。こうした計画が書かれていました。まだ市民運動の内部文書という性格でしたが、その後のまちづくり計画の原型となりました。裁判での住民側全面敗訴の見込みが強まると、国際人権法を学んで主張を準備しました。また、ワークショップを重ねるなどして住民の住居への意識を高めて、判決後の事態にそなえました。ウトロに実力で住み続ける一方、「強制立ち退き」の対案として、現実的な解決プランを準備することにしました。1998年に「ウトロまちづくり研究会」(第1次)は、ウトロの全建物の個別調査を実施しました。(このときのデータがいま生きています)。そして、調査結果を踏まえて、日本行政(当時は建設省)が住環境改善事業(例えば、密集住宅地区改良事業を想定)をウトロ地区で実施することは可能であるとの確信を得ました。


2000年7月、住民は「まちづくりプラン」基本方針を確認し、9月町内会は宇治市に(京都府にも)「まちづくり」の要望を提出しました。しかし、予想されていたとはいえ、2000年11月の最高裁上告棄却決定は大きな衝撃でした。住民の居住が「不法占拠」と断定され、(日本の国内法では)司法による解決の道は閉ざされたのです。強制執行が日程にのぼることになりました。しかし、国連(ジュネーブ)での国際法に基づく主張が認められて、2001年8月に国連・社会権規約委員会は日本政府に対し、最終見解(総括所見)を示し、その中でウトロを救済するように勧告を出しました。


これを受けて、2002年2月に「われら住んでたたかう」住民団結集会を行い、「オモニのうた」を参加者の全員でつくりました。


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オモニのうた(集会宣言)

いやや!
どんなことがあっても、私はよそには行かないよ
あの世からお迎えがあるまでは
なんでか わかるかね?
それはね
ここは私の生きてきた「ふるさと」なんだ
みんな 私のこと知っている
私はひとりくらし
この年まで学校には縁がない
具合が悪いときは
近所の人が本当によくしてくれたり
薬も 手にとって
こうして飲むんだよと飲ませてくれる
みんなが気づかってくれる
だから ひとりぼっちじゃない 淋しくない
なんでって?
私は「ウトロのオモニ」だから
2002年2月24日 「われら 住んでたたかうウトロ団結集会参加者一同」



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「強制立ち退き反対!居住の権利を守ろう!代替住宅の建設が保障されない限り住民は闘う、(日本)行政は救済策を行え」と訴え、ウトロ地区の表の道路に向けて大きな看板を掲げたのです。




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以下、青ひょん(引用者)

<「ウトロ・コリアタウン」
おぉ、そんなタイトルついてたっけ。懐かしいが、あの頃と状況も人も変わったよね。
ウトロは交通網、施設網、商圏など立地条件が微妙なんだよね。「だから、逆にイイっ!」って売り込みも難しい^^; 

<「オモニのうた」
「オモニのうた」に繋がっていく、畳込むような流れにびっくり(笑い
住民の思いをある意味代弁したことは理解するし、同時に、まったく状況の知らない人が見るときに理解を得られない様子も理解する。元ネタはアレだそうです。
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「3.ウトロ・コミュニティ」に続く

2008年11月6日木曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(1)

「第9回ウトロまちづくり研究会」を福祉会館で行いました。
後半は、住民の方々を交えて広場で焼肉大会です。

体調が本調子でなかった僕は、「次回はぜひ息子たちを連れてくるんで、」、と口の悪いアジメたち(!)を納得?させなあかんかったり
、、どこそこの○○が死んだ、××がどうなった、、と、暗いニュースもたくさん聞いたり。

時間がどうしようもなく経ってるよねぇ。

10年以上ぶりに見る顔もあり。驚いた。「一緒にバンドしようぜ、って言うてたやん!ハンチョッパリってベタな方向で!!」と僕が昔に言うてた人です(笑

お土産に頂いたお肉は、帰宅後、リンゴがペロリと食べちゃいました。

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日時 11月3日(月)午後1時から4時。
場所 京都府城南勤労者福祉会館2F、視聴覚室
主催 ウトロまちづくり研究会
協力 ウトロ町内会、ウトロを守る会


1、研究会の前回までの経過報告。(守る会)
 ウトロのまちづくりをめぐるその後の動き。(ウトロ町内会)
・土地所有者の債権整理関係
・日本行政の動き
・韓国政府の動き

2、「木造公営住宅」の実施例の画面紹介。
兵庫県宝塚市県営団地(木造3階建、枠組壁工法)

3、「ウトロまちづくりプラン、基本骨子案」の提案と討論。

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<レジュメ

ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

1.ウトロ集落のルーツ




在日朝鮮人集落・ウトロ地区(京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。約65世帯、200人)のルーツは戦時中の「京都飛行場」建設工事です。1940年、戦争遂行のため計画された京都飛行場建設事業は航空機製造工場やパイロット養成所を含む一大軍需プロジェクトでした。滑走路造成など大規模な土木工事に、安価で強靭な労働力として朝鮮人を収容する「飯場」(労働現場に付随した仮宿舎)が、工場敷地の片隅の低湿地に作られました。いまのウトロ地区です。


1945年、日本の敗戦により軍需工事は中止されました。朝鮮人労働者は日本政府や軍需企業から何の補償もなくその場に放置され、全員が失業者となりました。祖国に帰るに帰れない人々は飯場跡に身を寄せ合い、助け合って生きました。「日雇いの土木作業と食糧の配給があった戦時中より、むしろ失業と食糧難の戦後の方が辛かった。地獄の日々だった」と在日1世はは口を揃えます。1950年ごろの新聞記事によると、当時「伊勢田朝鮮人飯場」とよばれたウトロ地区には60世帯、300人の朝鮮人が住んでいました。戦後、ウトロの土地(約21000平方メートル)の所有権は、国策航空機製造会社の後身・日産車体株式会社(日産自動車系列)に軍需企業の遺産として承継されましたが、土地は清算処分されず放置状態のままでした。1960年代になると、日本各地の朝鮮人集落は都市化の波によって、立ち退きになり多くは消滅していきました。ウトロ地区でも北の共和国に帰還する家族があり、他の地域から流入する世帯もいて再編されました。現在の世帯の半数は戦時中の労働に起因するものの、残りの半数はこの時代に集まってきたものです。


1987年、業績不振にあえぐ日産自動車グループは遊休不動産の処分を行いました。同年、ウトロの土地は3億円で住民の一人・許昌九に売却され、のち転売されました。土地を買い取った不動産会社(有)西日本殖産は全住民に立ち退きを迫り、1989年、京都地裁に「建物収去・土地明渡」訴訟を提起しました。住民は時効による土地所有権の取得を主張しましたが、判決ではすべて退けられました。



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以下は、青ひょんの勝手な独り言

<「安価で強靭な労働力」
誉めてる!?(笑い そう言えばこの言い回しって、誰が最初に使ったんだっけ?

<「全員が失業者となりました。」
これもよく突っ込まれるところ。”戦後”はウトロだけじゃない、みんな失業したんだ!ってね。「あんときはお互い辛かったのぉ」と言うツッコミはネットでは少ない。別に「知らんかったら黙っとけ!」と言いたいわけじゃないけどね。

<「土地は清算処分されず放置状態のまま」
ぬぬ? なんのことだっけ?

<「残りの半数はこの時代に集まってきたものです。」
この辺りが、実は面白い話がてんこもりな部分なんですが、さすがに面白すぎて、僕も伝聞でしか聞いたことがないなぁ。(テキストで読んだことがない。というか誰も書けない)

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「2.オモニのうた」に続く