2008年11月11日火曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(2)

<レジュメ (1)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

2.オモニのうた




住民は団結して裁判闘争を続けましたが、裁判後の対応も考えるようになりました。京都地裁でまだ係争中の1995年ごろに作られたのが、「ウトロ・コリアタウン」プランです。日本行政が住環境整備事業(小集落改良事業を想定)を実施して、地域を全面的にクリアランスする。道路・水道をつくり、改良住宅に住民は移転する。残りの土地は町内会の共有地として残す、あるいは住民に分譲する。日産から企業メセナを加える。こうした計画が書かれていました。まだ市民運動の内部文書という性格でしたが、その後のまちづくり計画の原型となりました。裁判での住民側全面敗訴の見込みが強まると、国際人権法を学んで主張を準備しました。また、ワークショップを重ねるなどして住民の住居への意識を高めて、判決後の事態にそなえました。ウトロに実力で住み続ける一方、「強制立ち退き」の対案として、現実的な解決プランを準備することにしました。1998年に「ウトロまちづくり研究会」(第1次)は、ウトロの全建物の個別調査を実施しました。(このときのデータがいま生きています)。そして、調査結果を踏まえて、日本行政(当時は建設省)が住環境改善事業(例えば、密集住宅地区改良事業を想定)をウトロ地区で実施することは可能であるとの確信を得ました。


2000年7月、住民は「まちづくりプラン」基本方針を確認し、9月町内会は宇治市に(京都府にも)「まちづくり」の要望を提出しました。しかし、予想されていたとはいえ、2000年11月の最高裁上告棄却決定は大きな衝撃でした。住民の居住が「不法占拠」と断定され、(日本の国内法では)司法による解決の道は閉ざされたのです。強制執行が日程にのぼることになりました。しかし、国連(ジュネーブ)での国際法に基づく主張が認められて、2001年8月に国連・社会権規約委員会は日本政府に対し、最終見解(総括所見)を示し、その中でウトロを救済するように勧告を出しました。


これを受けて、2002年2月に「われら住んでたたかう」住民団結集会を行い、「オモニのうた」を参加者の全員でつくりました。


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オモニのうた(集会宣言)

いやや!
どんなことがあっても、私はよそには行かないよ
あの世からお迎えがあるまでは
なんでか わかるかね?
それはね
ここは私の生きてきた「ふるさと」なんだ
みんな 私のこと知っている
私はひとりくらし
この年まで学校には縁がない
具合が悪いときは
近所の人が本当によくしてくれたり
薬も 手にとって
こうして飲むんだよと飲ませてくれる
みんなが気づかってくれる
だから ひとりぼっちじゃない 淋しくない
なんでって?
私は「ウトロのオモニ」だから
2002年2月24日 「われら 住んでたたかうウトロ団結集会参加者一同」



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「強制立ち退き反対!居住の権利を守ろう!代替住宅の建設が保障されない限り住民は闘う、(日本)行政は救済策を行え」と訴え、ウトロ地区の表の道路に向けて大きな看板を掲げたのです。




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以下、青ひょん(引用者)

<「ウトロ・コリアタウン」
おぉ、そんなタイトルついてたっけ。懐かしいが、あの頃と状況も人も変わったよね。
ウトロは交通網、施設網、商圏など立地条件が微妙なんだよね。「だから、逆にイイっ!」って売り込みも難しい^^; 

<「オモニのうた」
「オモニのうた」に繋がっていく、畳込むような流れにびっくり(笑い
住民の思いをある意味代弁したことは理解するし、同時に、まったく状況の知らない人が見るときに理解を得られない様子も理解する。元ネタはアレだそうです。
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「3.ウトロ・コミュニティ」に続く

2008年11月6日木曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(1)

「第9回ウトロまちづくり研究会」を福祉会館で行いました。
後半は、住民の方々を交えて広場で焼肉大会です。

体調が本調子でなかった僕は、「次回はぜひ息子たちを連れてくるんで、」、と口の悪いアジメたち(!)を納得?させなあかんかったり
、、どこそこの○○が死んだ、××がどうなった、、と、暗いニュースもたくさん聞いたり。

時間がどうしようもなく経ってるよねぇ。

10年以上ぶりに見る顔もあり。驚いた。「一緒にバンドしようぜ、って言うてたやん!ハンチョッパリってベタな方向で!!」と僕が昔に言うてた人です(笑

お土産に頂いたお肉は、帰宅後、リンゴがペロリと食べちゃいました。

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日時 11月3日(月)午後1時から4時。
場所 京都府城南勤労者福祉会館2F、視聴覚室
主催 ウトロまちづくり研究会
協力 ウトロ町内会、ウトロを守る会


1、研究会の前回までの経過報告。(守る会)
 ウトロのまちづくりをめぐるその後の動き。(ウトロ町内会)
・土地所有者の債権整理関係
・日本行政の動き
・韓国政府の動き

2、「木造公営住宅」の実施例の画面紹介。
兵庫県宝塚市県営団地(木造3階建、枠組壁工法)

3、「ウトロまちづくりプラン、基本骨子案」の提案と討論。

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<レジュメ

ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

1.ウトロ集落のルーツ




在日朝鮮人集落・ウトロ地区(京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。約65世帯、200人)のルーツは戦時中の「京都飛行場」建設工事です。1940年、戦争遂行のため計画された京都飛行場建設事業は航空機製造工場やパイロット養成所を含む一大軍需プロジェクトでした。滑走路造成など大規模な土木工事に、安価で強靭な労働力として朝鮮人を収容する「飯場」(労働現場に付随した仮宿舎)が、工場敷地の片隅の低湿地に作られました。いまのウトロ地区です。


1945年、日本の敗戦により軍需工事は中止されました。朝鮮人労働者は日本政府や軍需企業から何の補償もなくその場に放置され、全員が失業者となりました。祖国に帰るに帰れない人々は飯場跡に身を寄せ合い、助け合って生きました。「日雇いの土木作業と食糧の配給があった戦時中より、むしろ失業と食糧難の戦後の方が辛かった。地獄の日々だった」と在日1世はは口を揃えます。1950年ごろの新聞記事によると、当時「伊勢田朝鮮人飯場」とよばれたウトロ地区には60世帯、300人の朝鮮人が住んでいました。戦後、ウトロの土地(約21000平方メートル)の所有権は、国策航空機製造会社の後身・日産車体株式会社(日産自動車系列)に軍需企業の遺産として承継されましたが、土地は清算処分されず放置状態のままでした。1960年代になると、日本各地の朝鮮人集落は都市化の波によって、立ち退きになり多くは消滅していきました。ウトロ地区でも北の共和国に帰還する家族があり、他の地域から流入する世帯もいて再編されました。現在の世帯の半数は戦時中の労働に起因するものの、残りの半数はこの時代に集まってきたものです。


1987年、業績不振にあえぐ日産自動車グループは遊休不動産の処分を行いました。同年、ウトロの土地は3億円で住民の一人・許昌九に売却され、のち転売されました。土地を買い取った不動産会社(有)西日本殖産は全住民に立ち退きを迫り、1989年、京都地裁に「建物収去・土地明渡」訴訟を提起しました。住民は時効による土地所有権の取得を主張しましたが、判決ではすべて退けられました。



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以下は、青ひょんの勝手な独り言

<「安価で強靭な労働力」
誉めてる!?(笑い そう言えばこの言い回しって、誰が最初に使ったんだっけ?

<「全員が失業者となりました。」
これもよく突っ込まれるところ。”戦後”はウトロだけじゃない、みんな失業したんだ!ってね。「あんときはお互い辛かったのぉ」と言うツッコミはネットでは少ない。別に「知らんかったら黙っとけ!」と言いたいわけじゃないけどね。

<「土地は清算処分されず放置状態のまま」
ぬぬ? なんのことだっけ?

<「残りの半数はこの時代に集まってきたものです。」
この辺りが、実は面白い話がてんこもりな部分なんですが、さすがに面白すぎて、僕も伝聞でしか聞いたことがないなぁ。(テキストで読んだことがない。というか誰も書けない)

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「2.オモニのうた」に続く

2008年10月3日金曜日

[news] ウトロ地区住環境改善へ 宇治市庁内に「検討委」設置/京都新聞

宇治市の担当窓口が総務から、宇治市長を委員長とする各課部長(?)クラスの専門委員会に変わったそうな。他にもそういう委員会があるのだろうか? 役所で横の繋がりをどう機能させうるのかって想像しにくいなぁ。委員会を構成する各々の部長レベルに相談(事前協議)しにいって「話は聞いてるよ」という段取りになるのなら、すごい良さそうだけど、そういう話では無いとのこと。(青ひょん)

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京都新聞 山城版 2008.10.02

ウトロ地区住環境改善へ
宇治市 庁内に「検討委」設置



在日韓国・朝鮮人が多く住む京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の土地問題に関連 し、市は1日までに、庁内の各部署が連携して住環境整備を検討するための「ウトロ 地区住環境改善検討委員会」を設置した。

同日の市議会総務委員会で報告した。ウトロ問題はこれまで総務部が担当してきた が、全庁的な組織設置は初めて。

市によると、検討委は川端修副市長を委員長に、総務や市民環境、健康福祉、建 設、都市整備などの各部長ら11人で構成。7月下旬に設置し、初会合で同地区の現 状を確認したという。

同地区をめぐっては、国と京都府、市でつくる「ウトロ地区住環境改善検討協議 会」が、住民側と意見交換する方針を示している。この日の市議会総務委で川端副市 長は「住民の意見を聞くのは協議会や実務レベルの幹事会。市の検討委で聞くことは 考えていない」と答弁した。


発信:吉田

2008年9月30日火曜日

[news] 住民ら他地区参考に研究会

え、12月上旬には具体的なプラン案をまとめるとな!?
そうか、僕の参加は間に合いそうにないなぁ。ちょっと残念。

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Kyoto Shimbun 2008年9月29日(月)

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008092900078&genre=K1&area=K20

ウトロの新しいまちづくり学ぶ
住民ら他地区参考に研究会



在日韓国・朝鮮人が多く住む京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の新しいまちづくりに向けた研究会が28日、同市の府立城南勤労者福祉会館で開かれた。住民や支援団体のメンバーら約30人が参加し、他地区のまちづくり活動の事例を参考に、公営住宅建設など住環境整備の流れや注意点を学んだ。

 奈良まちづくりセンター(奈良市)の藤野正文副理事長は、地区改良事業に携わる立場から「住民が地区に足りないものを話し合う上で、周辺地域の人たちも利用する道路は広くするなど配慮が必要だ」と話した。

 公営住宅整備を手掛けるCASEまちづくり研究所(大阪市)の寺川政司代表は「生活に必要な施設に予算を考慮しながら優先順位を付けていくことが大切。行政との信頼関係の構築も欠かせない」とアドバイスした。

 ウトロ地区では、今後2回の研究会を経て、12月上旬にも具体的なまちづくりプラン案をまとめる予定。

2008年9月17日水曜日

チーム・ウトロの一人、ヨンテさんから『中村のイヤギ』上映のお知らせ/斎藤

斎藤です。

ウトロに中村地区を紹介したチーム・ウトロの一人、ヨンテさんから、です。

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「この度、お陰様で、やっと上映会を行えることになりました。斉藤さんとともに、中村に行った日を懐かしく思います。お忙しい中だとは思いますが、また、良ければ是非おこし下さい。

2006年春、朝日カルチャーセンター大阪教室にて映画監督原一男さんの『ドキュメンタリーする快楽』という講座が開催されました。講座では、原一男監督が全身で情熱的にドキュメンタリーについて語ってくれ、その情熱に打たれた講座生が一人また一人とカメラをもってドキュメンタリー制作を始めました。講座は1年後の2007年に終わってしまいましたが、様々な紆余曲折を経て、ついに2008年10月5日に講座から生まれた5本の映画の上映会を行うこととなりました。是非是非、みなさんおこし下さい♪」

上映会『ドキュメンタリーする快楽』
日時:2008年10月5日(日)

場所:とよなか男女共同参画推進センター『すてっぷホール』定員150人(阪急豊中駅下車スグ『エトレ豊中』5F・6F)
上映作品:初監督5人(女性3人を含む)のドキュメンタリー作品  チケット:1部500円(プログラムABC3部制各プログラム入れ制)※前売り券購入希望の方は、直接すてっぷの窓口で購入されるか、主催者まで連絡下さい。
ブログ:「ドキュメンタリーする快楽」 http://blog.livedoor.jp/nakazakieizo/
※作品の詳細や、各監督のプロフィールが載っています。  

上映スケジュール
※各部入れ替え制です
(第1部)
10:15-第1部(A)開場 10:30-開会の挨拶
10:35-A『中村のイヤギ』上映
監督:張 領太
11:45-張監督の挨拶

2008年9月10日水曜日

[news] 公営住宅や高齢施設建設検討へ「ウトロ地区環境改善協議会」

「歴史記念館」なぁ、、、。これまでにも話題にはなってましたが、ほんまどうすれば、多くの人が納得したり、長く存続するような施設になりますかねぇ。これまでの時間で解答が出てないなら、これからも出なさげで、出たとこ勝負になりますか、、。

「趣味で、専従一人が9時~5時居れて、6畳一間で、ウトロに遊びに来たはいいが右も左もわからんような旅人にお茶を出す」ぐらいの”記念館”施設ができたら良いけどねぇ。それは記念館じゃ無いかもしれんけど。

相変わらず、「記念”館”はいらんやろ、、、」とこっそり思っておりますが、僕が知らない間に、割と「具体的なワクワクするような記念館のイメージが共有され始めている!」という状況になってるなら、すんません。「建設スペースの確保」も検討とのこと。小さくてカワイイ規模が個人的には良いなぁ、、、。

【追記】
あ、しまった、そう簡単な話ではなくて、「様々な援助をウトロに対してしてる層」(特に韓国サイド)に対する「何らかの格好」を示す必要があったんだよねぇ。うぅ、色々と面倒そうだなぁ。援助していただいたものは個人的な財産には使われへんやろし。住民や地域の共有スペースやないとアカンもんねぇ。

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http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008090900087&genre=A2&area=K00
kyoto Shimbun 2008年9月9日(火)

公営住宅や高齢施設建設検討へ
「ウトロ地区環境改善協議会」



(写真)ウトロ地区住環境改善検討協議会で話し合う国交省の岡崎住環境整備室長(右から2人目)ら=京都市南区

     在日韓国・朝鮮人が多く住む宇治市伊勢田町ウトロ地区の住環境の改善策を話し合う、国土交通省と京都府、宇治市でつくる「ウトロ地区住環境改善検討協議会」の第3回会合が9日、京都市内で開かれた。改善事業を進めるにあたっての「基本的な考え方」をまとめ、実施を検討する事業を初めて具体的に明示。住民から要望のある公営住宅や高齢者福祉施設の建設など計10項目を掲げた。

 同地区の土地問題に関連し、国を含めた行政機関が公営住宅の建設を公式に検討するのは初めて。今後この「考え方」を基に議論を重ね、住民との意見交換も踏まえて改善策の基本構想を策定する。

 「考え方」は、対象となる土地の所有権問題が地区で解決されていることなどを基本条件に、周辺の住環境整備につながるまちづくりの視点を併せ持つことなどを掲げた。

 事業の検討項目は、公営住宅や高齢者福祉施設、防災対策や道路・排水などのインフラ整備、浸水対策など合わせて10項目を明示。うち、住民側が希望した歴史記念館については、住民ら民間による実施を前提に、建設スペースの確保を検討する−とした。

 会合後の会見で、府の太田昇総務部長は「住民との意見交換を次回協議会までに行いたい」と実務レベルの協議となる見通しを示した。国交省住環境整備室の岡崎敦夫室長は「国交省としてできる支援は精いっぱいやっていきたい」と話した。

 会合ではこのほか、6−8月の4回の大雨で、地区内の延べ32棟に浸水被害があったことなどが報告された。



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もう少し詳しい記事↓

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洛南タイムス記事2008/9/10

浸水対策も含め構想策定へ
宇治ウトロ地区の住環境整備
公営住宅の建設など検討



在日韓国・朝鮮人が住む宇治市伊勢田町ウトロ地区の住環境整備に向け、国土交通 省・京都府・宇治市で構成する第3回「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が9日、 京都市内で開かれ、事業に対する基本的な考え方をまとめた。検討項目として立ち退 き者のための公営住宅建設、高齢者福祉施設の建設など住民要望をふまえた10項目を 挙げた。「今後、住民と十分な意見交換をする必要がある」(太田昇・府総務部長) としており、実務レベルの協議を進め、住民との協議も重ねていくことになった。

協議会は国土交通省、同省近畿地方整備局、府、市の4機関で構成し、昨年12月に 発足した。
委員は国交省住宅局の岡﨑敦夫・住環境整備室長、同省近畿地方整備局の西植博・ 建政部長、京都府の太田昇・総務部長、宇治市の川端修・副市長の4人。 課題整理と問題意識の共有に向け、今年2月末にはウトロに住む居住者を対象に行 政による初の実態調査を実施。
3月の第2回協議会にはウトロ町内会(65世帯200人)の役員も出席し、ウトロ 全域(約2・1㌶)での住環境整備事業の実施▽公営住宅建設▽高齢者福祉施設の建 設(または併設)▽歴史記念館(民間事業)建設に向けたスペース確保――の4項目 を「町内会の基本要望」として示した経過がある。

協議会では今年6月~8月の府南部地域の集中豪雨によるウトロ地区の浸水被害や 実務を担う幹事会に設置した浸水対策部会の取り組み経過報告を受け、住環境改善の 基本的な考え方を協議。
住環境整備が他の地域とバランスが取れたもので、府民(市民)理解が得られるも のであると共に、あいつぐ集中豪雨にともなう浸水対策もふまえ、「水害に強いまち づくりの視点を併せ持つものであること」を申し合わせた。

協議会で確認した検討項目は「全体的なまちづくり計画」として

▽地区周辺を含めた防災対策
▽居住施設整備
▽道路、排水路、上下水道などのインフラ整備
▽その他居住環境整備――の4項目。

「付随事項」として
▽公共施設用地の所有形態
▽地区西側部分の考え方――の2項目。

「地区住民からの要望」として
▽立ち退き者のための公営住宅建設
▽高齢者福祉施設の建設(または併設)
▽歴史記念館建設
▽浸水対策(原因解消)――の4項目を掲げた。


協議後の会見で府の太田総務部長は「基本的な考え方をふまえ、町内会とも意見交 換していきたい」と説明。
国交省住環境整備室の岡﨑室長は「地元は無論のこと、市・府も熱意を持って取り 組まれている。国交省としてもできる支援は精一杯やっていきたい」と述べた。 【岡本幸一】

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2008年8月28日木曜日

[news] 人革党事件の遺族らが寄付金/朝鮮日報

朴正煕政権を叩いて「でっちあげ」を「でっちあげであった」とする動きは、現政権下でもまだまだ健在なんだね。僕の周囲でも色々きな臭い動きありましたね。ウトロとは別の側面で、色々と言いたいこともあるけれど、、、。やめとく。下の記事は朝鮮日報なので「『人民革命党事件』も『民青学連事件』も「北の指示というのは全くのデマであり、歴代ファッショ政権の事件は概ね(すべて)捏造品だ」というベクトルには乗るものではある。

遺族の方々には本当に感謝して頭が下がりますが、、。

「でっちあげの部分」を「でっちあげであった」とするのは、大変意義のある喜ばしいことだけど、そんな単純な問題じゃないと皆わかってるんだから、そっち方面の人たちには、もっとナイーブに表現して欲しいよな。「ほんとうのこと」まで胡散くさくなるじゃないか。そっちの「ほんとうのこと」を大事にしている人もいるんだよ。

ウトロとは関係ないですがね。

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京都ウトロ地区問題:人革党事件の遺族らが寄付金



 1975年、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領による「維新体制」の下で内乱予備陰謀罪に問われ処刑された「人民革命党再建委員会(人革党)事件」の遺族たちが、韓国政府から受け取った賠償金の一部を、京都府宇治市のウトロ地区に住む在日韓国人への支援金として寄付した。

 処刑された故ハ・ジェワンさんの妻イ・ヨンギョさんや、故ソン・サンジンさんの妻キム・ジンセンさんなど人革党事件の遺族らは21日午後、ソウル市中区貞洞のセシールレストランで、ウトロ住民会のキム・ギョイル会長など、ウトロ地区の代表者たちに5000万ウォン(約516万円)の寄付金を手渡した。

 ウトロ地区は、宇治市の郊外にある面積2万1157平方メートルの集落で、1941年に旧日本軍の飛行場建設のために動員された朝鮮人の子孫178人(71世帯)が住んでいる。上下水道も整備されていない同地区で暮らしてきた在日韓国人たちは、89年に土地を所有している不動産会社から立ち退きを求められ論議を呼び、その後住民たちが土地を買い取る動きを見せているが、十分な資金が集まっていない状況だ。

 この日手渡された寄付金5000万ウォンは、人革党事件の遺族らが、昨年行われた再審で32年ぶりに無罪判決を勝ち取った後、韓国政府を相手取り起こした損害賠償請求訴訟を通じて受け取った賠償金の一部だ。

 ソウル中央地裁は昨年、政府に対し、人革党事件の被害者本人に10億ウォン(約1億300万円)、妻や両親に対して5‐7億ウォン(約5100‐7200万円)、子どもたちに4億ウォン(約4100万円)の慰謝料を支払うとともに、1975年から32年分の遅延損害金(年率5%)も支払うよう命じ、賠償額は計637億ウォン(約65億4700万円)に達した。

 遺族らが手渡した寄付金は、「ウトロ国際対策会議」に寄付され、ウトロ地区の土地を購入して在日韓国人たちが住む権利を確保するために使われることになっている。

キム・ジンミョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

2008年8月5日火曜日

google maps ストリートビュー 「京都ウトロ、オモニのうた」



google maps の日本地図でも「ストリート・ビュー」機能が都市圏中心に広範囲に実装。「京都ウトロ」も3Dでグリグリと一部見れる。(敷地北側道路)。惜しむらくは、例の看板撤去前の「味のある景観」ではなかったこと。

それでも、道路から「オモニのうた」が読めたりして、なんちゅう世の中だと、びっくりです。

京都の町並みも大変イイ感じ。

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google Maps で「京都ウトロ」を検索。右上アイコン、または吹き出し内の「ストリートビューアイコン」クリックで、「青い道」「黄色の人アイコン」などを選択。あとは、東や西に移動。

実際に行ったことのある人にとっては雰囲気が思い出される面白いものかもしれないけれど、知らない人にとっては何のことやら、、、という感じかもしれない。

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2008年7月30日水曜日

匿名さんへの返事(1)



↑にて匿名さんよりコメント(2008/07/24 20:27)を頂く。

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では、ついでと言っては失礼でしょうが、兼ねてより疑問に思っていました事をウトロ地区に詳しい方に聞いていただければと思いますが、いかがでしょうか?

もしかすると、気分を害されるかもしれませんが・・・

同じように苦労された在日朝鮮・韓国人の方々の多くは法的に不備なくコツコツと貯めたお金などで土地や家を買われたりしたはずです。少なくとも私はそう信じたいです。

この問題で、お金を貯めて土地・家屋などを買って暮らしていらっしゃる在日コリアンの方々はどう思っていらっしゃるのですか?

この問題は企業の土地を何十年にもに渡って不法占拠したあげくの裁判ですよね。

上での青ひょんさんのコメントで

>また、土地オーナーの西日本殖産が不払いであった固定資産税も新たな土地売却の際に整理されそうですね。

と、書かれていましたが、不法占拠された土地の固定資産税を何十年と払っていたのは日産車体ではないですか?
それとも、土地の賃借料などを毎月、ウトロ住民の方は日産車体に払っていたのでしょうか?

日産車体に対しても書かれていますが、企業として持ってるだけで固定資産税などの赤字が出て、しかも、何十年に渡って一円の利益も出ないなら債務を切り離すために買いたいと言ってきたら売ってしまうのは当然なのではないでしょうか?

つまり、ウトロ地区は水道さえ通っていない言われ、そこでの生活も苦労があることと思いますが、

数十年にも渡って他の地域の人たちが負ってきた住宅費および関連税金(これは日本人・在日外国人問わず人生の買い物・出費の中の一番に近い金額)を払わずにすましているという事実があるのではないでしょうか?

かなりの経済的優遇を受けてきたのと同じではないですか?

土地・家屋を所有しているとかかる固定資産税は馬鹿になりませんし。
代りに税金を払ってくれていた企業を罵倒しすぎのはどうでしょうか?

他の地域で自力で土地家屋を取得された在日コリアンの方々は一緒にされては困ると思われないのでしょうか?

時代や差別、貧困などを理由にしての不法行為は理由にならないと思います。同じ時代境遇でもまじめにお金を貯めて家を買った方々の方がおおいでしょうから。

この問題の加害者はだれですか?

私は、この問題についてはウトロ住民の方々が加害者だと思います。
たぶん、激怒されているとおもいますが。

私のウトロ地区認識

1・飛行場建設のために雇われた人たちのための飯場があった。

2・朝鮮半島出身者の多くは経済的理由のために日本に移住してきたり、もともと日本で暮らしていた人達。

3・朝鮮半島出身者のみではなく、日本人も三分の一強はいた。

匿名で聞くことをお許しください。
しかし、世間一般で言われていることいがいで、認識不足のことがあればおしえてください。



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で、僕は以下のようにレスポンス(2008/07/24 23:24)。

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僕は、先の発言で偉そうでしたね。すいません。

「特権」に反応したというか、「誰が悪い論」に興味がある人と対話しなアカンのか、、、と思って、気が滅入ったんです。
「責任の所在」というものと「誰が悪い論」というのは、位相の違う話でありまして、、、。

企業、住民、行政、党派、民族団体、銀行、土建屋、地上げ屋、、、、もしかして、関係者全員が「良かれと思って。住民のために」やってたかもしれんやん? で、結果上手いこといかなかった部分は、さてこれから、それぞれが何をする?何が出来る?って話かもしれんやん。それも、実はそれぞれは「人生かけて良かれと思って」やってたかもしれんやん。

それやのに、誰が悪いとか、住民が悪いとか、、、。
誰が悪者かを決めるゲームじゃ無いんだってばよ。

えっとその辺も含めて、すんません、また4,5日したら様子を見にきて頂けないでしょうか?
僕が言える範囲で答えたいとは思ってるのですが、、、

私事で申し訳ないんだけど、あと100時間ほど寝る間もなく集中したい仕事がありまして、それで、心中穏やかじゃないんだわ。僕。

ごめん。

でも、質問してはる範囲って、昔のウトロの掲示板のログとかの斜め読みで判るような気も。Wikipedia や 2チャンのまとめでは判らんやろな。検索で見つからないなら、申し訳ないですが、待ってください。

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で、4、5日たってしまったんだけど、どうにも上手に時間を作れないので、小出しでレスポンスさせてもらいます。ごめんなさいね。今日も終電まで頑張れよオレ。


では少しずつ、、、。

(a) 僕は、京都ウトロに関して5、6年前までは、事情を割とよく知る層に居たと思うけれど、その後、子育てや仕事やらで「一番面白そうな瞬間?」も距離を置いて見ており、以前の僕を「よく知るランキング20位」に入ってたとすると、今や「よく知るランキング500位」くらいなもんで、そういう意味で、匿名さんにとって質疑対象としては申し訳ないです。

(b) 「誰が悪いのか論」ですが、今や「和解(?)」しちゃいましたが、「地主の西日本殖産が、ウトロ住民を訴える」という図式が以前あって、原告の訴えが裁判所に受け入れられました。それをもって「住民が悪かった」と結論づけたい層や、「なんか良く判らないが、朝鮮人が悪いに違いない(笑)」と考える層があるのかもしれません。

住民の中には自称町内会長に対して文句を言いたい人も確かにおります。

厳本町内会副会長がよく話すのは、、、ウトロの歴史やウトロの問題について考えるとき、「戦争」の記憶とウトロを切り離して考えられない。ウトロを訪問する人が、ウトロを通じて、戦争であったり平和といった問題について「学ぶ」ことが出来ればありがたい、、、という話。つまり、あえて何が悪いかと言えば、「戦争」なんではないか? とか(厳本さんの話を聞いた僕の解釈だけど)

僕が思うには、日本語ようわからん、とりあえず一所懸命働いて家屋を苦労して手に入れた一世が、人生後半地点で突然訴えられて「え?土地ってセットちゃうかったん?」みたいに驚くのは、至極わかりやすい。それが「悪い」ことだったとはとても思えない。日本語をもっと勉強しとけよ、とか、日本に居るなら日本の法律は「常識」じゃない、、みたいなツッコミは僕はようしない。それが出来る人もおるけどね。適わんなぁ、という感じ。何が悪いかと言えば、「対話能力の低さ」でしょう。僕も、住民も含めてだけど、自称自治会長や企業や国や行政が、例えば、戦争のための飛行場建設に労力を費やした朝鮮人労務者に対して「言葉足らず」だったんじゃないか? で、対話能力、言葉足らずという問題は、相手側だけに求められるものでもなく、住民も(僕も)、その低さゆえに、ここでこうして、あなたに突っ込まれたりしてるんだろうねぇ、、、。という感じ。

でも、そんな反省してる間に、既に一世は多くが他界してるんだよなぁ、、。

(c) 固定資産税など。
住民は今まで払ってなかったと思いますよ。また、西日本殖産も払ってなかった。何年か前に明らかになりました。日産車体がどうしてたかは正直知らない。業績の悪化してきた日産車体にとっては、固定資産税も含めて処分したかったんだろうよ、で、ペイしたかどうかは判らないけど、多くの住民が知らないところで精算は済んだ。

当時、日産車体にとって、不良債権化してたウトロ地区が、どの様な内容で、自称町内会長サイドに渡されたのかは、本人が喋らないしよく判らないけれど、色々と想像はされてきた。とりあえず、固定資産税未納問題などは、不良債権処理一般の話として、”世間”ではどうなのか自分でお調べください。西日本殖産も払ってなかった。それも含めて、今回、精算される、ということ。 払ってこなかったツケは当然ある。まとめて払うメドがついたか(?)というところ。

住民が怒るのは想像に易いぞ。事情を知ってる「日産車体、行政(国土法絡み)、その他個人・企業(自称町内会長、土地転がし?金貸し?)」が片方におって、あと、事情をまったく知らない多くの住民がおる。事情を知ってるグループは、ウトロ住民のためもあってこっそり?話を進めてたのかもしれないし、こっそり進めている気は無かったのかもしれない。

ある日、出て行けと訴えられて、「日産車体よ、なんでうちらに黙ってことを進めてん!」と怒る。判りやすいと思うけどなぁ。
当時事情を知ってたグループの人たちは、こんな大きな話だ、危ない橋を渡ってると認識してなかったのか? 今では考えられない。全員が住民対応はなんとかなるやろうと楽観的に考えていたのか? 自称町内会長も頑張ったのかもしれないが、そら町内をまとめるなんて無理やろうよ、、、

(d) 住民は、家を自力で買ったり建てたりしてきたんだよ。土地についてはホッタラかしだった。だから「血と涙の結晶である家を壊すというのなら、うちを殺してからにして」と既にお亡くなりになった住民が話したりしてたんだよ。しかし、その地と涙の結晶である家屋も、「つぶさなあかんねんやったら、潰される前に、自分で潰す」言うたり、状況が動いてきてね、、、、。

関係ないけど、僕は家族4人で賃貸マンション暮らしだけどね。まぁ、大変だよ。

(e) 匿名かどうかは問題じゃないんだよ、匿名で何をするかが問題なんだよ、、。だから、そんなこと気にしなくていい。でも、匿名だからと言って、僕に情報のないところで「世間一般」とか言われても、どこの世間なんだか判らないよ。だから、新聞で読んだけど、とか、2ちゃんのまとめを読んだけど、ニュー速でチラっとだけとか、ウトロの写真集を読んだよ!とか、バックボーンを語ってくれないと、話が噛み合わないぞ。

(f) あなたの認識

1・飛行場建設のために雇われた人たちのための飯場があった。
2・朝鮮半島出身者の多くは経済的理由のために日本に移住してきたり、もともと日本で暮らしていた人達。
3・朝鮮半島出身者のみではなく、日本人も三分の一強はいた。

えっと、1の通り、ウトロ地区は当時の飯場です。飯場の土掘って^^;、滑走路サイドへ土を盛ったから、ウトロ地区は地盤レベルが低くて、水害が大変なんだわ。

2の通り、経済的理由のために日本に移住してきたり、戦前に日本に渡ってきており暮らしていた人たちが多いです。また、いわゆる朝鮮人炭鉱労務を経験してきた住民も居られました(他界されました)。

3はどうだっけ? 当時日本人が1/3居たって、飯場に?? 忘れた。そうだっけ? また判ればレスします。

とりあえず、続きはまた。

2008年7月8日火曜日

またまた大雨被害/斉藤

ウトロを守る会の斎藤です。

今日(7月8日)の雨で、またウトロ地区で浸水被害。床上浸水1戸、床下浸水数戸です。午後5時から6時のスコールで、今回はウトロの北側にある「伊勢田8号水路」(宇治市が管理)があふれ、集落の中央付近で被害が出ました。(前回、6月20日の被害家屋は大丈夫でした。)宇治市からは消防ポンプ車2台がきました。町内会はすぐに消毒をしてくれるように、宇治市に依頼します。まったく、もう・・・・・。