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2008年12月15日月曜日

在特会「京都ウトロ遠征」の続き

「転売して儲けるワケがない」と言わねば伝わらないよね、、 の続き

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いつの間に「強制連行資料館」ってなネーミング!?(笑い 
個人的には入るのイヤだ。

こういう動画は影響力があるのかな? 内容的には「在日特権を許さない市民の会」の「京都ウトロ遠征」にあった通り。

今後、全く「縁」の無いの人に影響力があろうと無かろうとどうでも良いが、そうで無い場合はどうなんだろね。見てて笑けるが、笑ってばかりではいられないのか? 個人的には、僕の撮った「写真」が”ネガティブキャンペン?”に利用されるのは、気分はよくない。やっぱり笑けるけど。

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役所での協議で状況整理が進むと良いですね。

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追記↓



2008年12月10日水曜日

「転売して儲けるワケがない」と言わねば伝わらないよね、、

re:ウトロ不逞在日への反撃ウトロ不逞在日への反撃 の続き


一晩考える。

そうか。確かに、「中間法人の受け皿で~」という頃の記事 と、僕の「売るわけがない」という言い方は矛盾する。「デタラメ」と言うツッコミは成立しますね。

すみませんでした。

「転売して儲けるワケがない」とハッキリ言わなければならなかった。

元町内会長(自称)許昌九が何を思って「姿を消した」かは本人に聞かないと判らないにしても、「ウトロなら転売またするんじゃない!?」と彼を引き合いに出されるのは困るというか、、、、許昌九のことがあったからこそ余計に、「転売で儲ける」などと忌み嫌う発想を選択することは無いのではないかな。時勢に沿わない。彼に対する「恨み」のようなものを感じる住民がいてもおかしくないけど、「羨む」人は居ないだろう。

しかし! 「高齢者用の共同住宅建設を実現させるために、あらゆる選択肢を検討する」、、、というのが「なんでもあり」のウトロらしい方針なので、、、そのための過程がどうなるかは、今のところ誰にも ^^; わからんわな。(「ウトロらしい」のであって、それは「在日韓国人、在日朝鮮人らしい」ということでは無いように思う)

また、ウトロが購入する土地以外の部分は、「行政の開発で中規模集会施設の用地に」「企業の誘致はどうだ」などと、”勝手なこと”を何年も言うてきてるしね。

で、、、実際のところ、レートなどで目減りする韓国政府の資金の受け皿に関してはメドがつきそうだけど、それを含めても「6億5千で、5億引いて、1億5千がどうのこうの」という「想像」は、僕の知るリアルからかなり遠い。もしそれだけ資金が集まっている状況なら、町内会は勿論、韓国サイドも地主も動き方が違ってくるだろうにね (´・ω・`)

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「在特会「京都ウトロ遠征」の続き」 あたりへ続く

2008年12月8日月曜日

re:ウトロ不逞在日への反撃ウトロ不逞在日への反撃

デタラメなぁ、、、。
まぁ、いいか。

地主も住民も原告も被告も、身寄りのない高齢者も購買能力のある住民も、”在日”という括りで済むような問題の立て方のようだし、決定事項/非決定事項も「わが目」で見聞きしないと理解できないでしょうし。


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ウトロ不逞在日への反撃ウトロ不逞在日への反撃
http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10174669415.html



ウトロ遠征に先立ち関連サイトをチェックしていたところ、ウトロを支援している人物のサイトが目に留まりました。ウトロ遠征の告知文の中でウトロ問題の経緯を簡単に書いたのですが、その中にある「現在同地区の土地を所有する西日本殖産にウトロ地区の在日側が5億円を支払い、土地の半分を買い取る合意がなされました。しかし、今度はその買い取った土地を政府もしくは自治体に5億円以上で買い取れと要求してきたのです。」という部分に噛みついています。この人物(日本人なのか在日なのかは不明)の主張するところによれば、「せっかく買った土地を住民サイドが誰かに売ろうとするわけがない」のだそうです。さらに残りのサイトでの記述部分を要約すると「まだ誰の資金でどこに何を作るかということはだれにも分かっておらず、そうしたことを知らずにウトロに乗り込んで抗議するなど身の程知らずな」「在特会はウトロのことを何も知らないんだから黙ってろ」ということになるようです。

私からの答えは以下の新聞記事になります。
この人物が主張している内容がいかにデタラメかは、この新聞記事を一読すればはっきりわかるでしょう。

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京都新聞『ウトロ町内会が土地購入へ 中間法人を設立』
平成19年10月26日付

在日韓国・朝鮮人が多く住んでいる京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区のウトロ町内会は25日、土地を購入するための中間法人を設立した。26日の住民集会で報告し、土地所有者の西日本殖産(大阪市)と月内に土地の売買契約を結びたい意向。ウトロ町内会は、地区の東半分約1万500平方メートルを5億円で購入することで西日本殖産と7日に合意している。中間法人は町内会の役員らで構成し、25日に登記した。住民集会で同社との契約内容について住民に了承を求める。

町内会は、中間法人が購入した土地を京都府または宇治市に売却した上で、住民がまとまって生活することが可能な公営住宅の建設を希望し、府と市にあらためて要請する方針。

宇治市は地区の実態調査を今後行う方針で、国や府と情報交換を進めている。土地購入をめぐっては、韓国政府が現在、中間法人が購入資金にするための支援金を2008年予算案に盛り込み、国会で審議中。支援金は08、09両年で計30億ウォン(約3億8500万円)で、支援組織「ウトロ国際対策会議」(ソウル)の募金も加わる。

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二段目にはっきりと「自治体への転売(土地ころがし)」および「同地に公営住宅を建てろ」と要求していることが書かれています。また、この要求を受けて宇治市などでは彼らの要求に応えるプロジェクトチームが現在結成されており、今後国民の税金がウトロで不法占拠を続ける不逞在日に垂れ流される可能性が高まっているのです。だからこそ、在特会は日本国民の団体として直接ウトロに乗り込み、あるいは宇治市のプロジェクトチーム責任者と直接会って断固抗議するのです。

そもそも、先述のウトロ支援の人物は「せっかく買った土地を住民サイドが誰かに売ろうとするわけがない」と主張していますが、それこそ歴史を知らない愚者であることを自分で認めているに等しい発言です。
1987年にウトロ地区自治会長だった許昌九が日産車体(ウトロ地区の所有者)から3億円でウトロ地区を買い取り、それを西日本殖産という不動産会社(民団京都地方本部長だった河炳旭が設立した会社)に4億5千万円で転売したことでウトロ問題がより複雑化していきました。ちなみに許はこの土地ころがしで莫大な利益をあげて、そのまま行方をくらませています。なにはともあれ、すでに20年も前に「せっかく買った土地を住民サイドが誰かに売っていた」のです。

なお、最新の情報ではこのウトロ中間法人は、韓国や国内在日同胞から支援金などの名目で6億5千万円を集めたそうですが、すでにそのうちの1億5千万円が使途不明金となって消えており、残りの5億円もどれくらい残っているか分からない状況のようです。ウトロの在日の間からも「この売買(西日本殖産から5億円でウトロ地区の半分を買い取る)は一部の人間をもうけさせるだけの土地ころがしだ」という声が上がっているとのことです。

この人物は少なからずウトロ問題に携わっているとのことなので、こうした歴史的経緯やウトロの現状を知らないと考える方が無理があります。知っていて堂々と虚偽の記述を並べたて我々を非難しているのですから厚顔無恥にもほどがあるといえるでしょう。 日本国民の税金をしゃぶり尽くそうとするハイエナ集団、不逞在日や反日極左と戦うために、我々は京都ウトロ遠征を実施します。日本屈指の危険地帯であることは百も承知していますが、反日虚言を世界中に撒き散らそうとする不逞在日やその支援者を自称する反日極左たちをこれ以上放置することは、国益の観点からみても許されないものです。日本国民が本気で彼らに怒っていることを行動を持って示す必要があるのです。

下記、京都ウトロ遠征に一人でも多くの方にご参加いただけますよう心よりお願い申し上げます。距離的問題などで参加いただけない方々にも、京都ウトロ遠征の告知文を各所で周知していただけますようご協力をお願いいたします。



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以下、引用者青ひょん

以下のコメントを上記ブログへ投稿しました。承認待ちです。

私は韓国籍で、戸籍名は文青ヒョン(ヒョンは火へんに玄)と申します。いわゆる在日韓国人三世です。
話の前後から、あなたのエントリーの中で出てきた「ウトロ支援の人物」本人だと思います。

http://utoro.blogspot.com/

Doronpaさんの情勢分析からは、僕は「愚者」「虚偽」「厚顔無恥」ということになるそうですが、最も現実に「近い」のは、僕の発言とDoronpaさんが紹介された新聞記事の「間」にあるということに気づいて頂ければ、、。

僕は「土地転がしで迷惑を被っている住民」を支援していますが、「土地転がしで儲ける人間」(が現在いるかどうかは知りませんが)は死のうが生きようが知ったことじゃないです。僕には係わり合いのない話です。

土地活用をめぐる状況は決定事項が殆ど何も無いところではありますが、刻々と内容は変わっております。Doronpaさんたちの指摘が、南山城地域、宇治市の発展に寄与することを願っております。その他、Doronpaさんの情勢分析?の多くを了解しかねるのですが、「それも仕方ないかな」と思いますのでなるべく突っ込まないようにします。京都の冬は身に応えます。京都へ来られるさいは寒さにお気をつけください。

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追記:青ひょん /2008.12.10

「「転売して儲けるワケがない」と言わねば伝わらないよね、、」 に続く

2008年12月3日水曜日

[まちづくり] 第10回ウトロまちづくり研究会、、干し柿など

第9回(その7) のつづき

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第10回ウトロまちづくり研究会
日時 11月30日(日)午後1時から4時ごろ
場所 京都府城南勤労者福祉会館2F 視聴覚室



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前回(11月3日)、ワークショップで出された「新しいウトロのまち」のイメージをもとに、各自がイメージ図を描いて持ち寄る。絵を見ながら、さらに検討。内容を深め、ひとつに絞らないで、研究会として積み重ねてきた「まちづくり」の理念を確認して共有する内容。ワークショップのほうは、10案ほどの図面を前にガヤガヤと賑やかに進行。

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厳本町内会副会長から、現状報告。

  • 韓国大阪総領事館を窓口に、韓国政府からの支援金 30億ウォン(≒1億9千万円?)を受け入れる財団の定款づくりが進行中。

  • 先月末に最後の係争が終了し、実際上、すべてのウトロ裁判(3つの裁判)が終了

  • 裁判終了により、今まで「すべての裁判が終わるまでストップ」とされてきた、「30億ウォン受入れ話」や、宇治市の「ウトロ地区住環境改善検討委員会」の活動が本格的に進められる(であろう)



あと、そういえば、
ここで言わんでもええかもしれませんが、「「在日特権を許さない市民の会」の「京都ウトロ遠征」」で語られていた、「現在同地区の土地を所有する西日本殖産にウトロ地区の在日側が5億円を支払い、土地の半分を買い取る合意がなされました。しかし、今度はその買い取った土地を政府もしくは自治体に5億円以上で買い取れと要求してきたのです。」、、、という辺りの「誤読」は正直、経緯がよく判りませんが、今のところ、決まっている(?)ことは、「地主(西日本殖産)は○円で敷地を売りたいが、住民の資金では全部は無理。なので敷地の一部を(半分を5億)買い取ると約束」 で、勿論、せっかく手に入れた土地を、住民サイドが転売して儲けよういう方針は出るわけがないですが、住民が買えない残りの土地も含めて、「連合町内会、南山城地域、宇治市、京都府など地域のまちづくりに貢献できるような一体的なまちづくりがなんとか出来ないでしょうか、宇治市さん?国土交通省さん?」みたいな提案を、住民サイドからしたいという話です。そこに韓国からの支援金30億ウォンを受け入れる予定の財団としての意向もクリアせねばなりません。

行政も企業も西日本殖産も結果的に動かない、動けないかもしれません。ですが、せっかくなんでええ地域にすることを一緒に考えましょうや、という提案の段階です。

というわけで、まだ誰の資金でどこに何を作るのかということは誰にも判らない状況な訳です。先の「在日特権を許さない市民の会」が行政を批判?するのなら、5億がどうのとか「こちらの土俵」で語るのでなく、「細かいことは知らんけど、ウトロから手を引け。関わるな」と言いかたにすれば良かったのかもしれません。それなら、なんかようわからんけど、よく知らないまま納得される方がおられるかもしれません。僕も「いきなりな感じだけど、そういう立場もあるんかなぁ」と認識はできます。

行政へ協議に行かれるということですから、その場で、知らない人間が知ったように語ると、あとあと会自身の正当性を脅かすことになります。これは避けてほしい。ウトロに関わったがばっかりに、「在日特権を許さない市民の会」は、「実はよく判ってないんじゃないか?」などと周囲に思われることになるのは酷だよなぁ、、、と個人的には思っております。いや、何をされてる会かはよく知らないのですが、細かい事実関係を知る知らないはさておき、地域にとって利益のある「まちづくり」を行うよう行政に働きかけて頂ければ、結果的に、それがウトロにとってもプラスになるんじゃないか? そう思うところです。



またウトロ町内会と守る会は、12月7日(日)1時から、京都府城南勤労者福祉会館3F大会議室で、町内住民を中心とする全体集会を開催し、住民側の「まちづくり案」の複数サンプルを示して、住民に説明し、理解を深めて、意見を丁寧に聞く作業を続けるという予定ということ。

re:ウトロ不逞在日への反撃ウトロ不逞在日への反撃 に続く


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研究会終了後、ある住民のお宅で少し雑談。

キムチの塩加減については、またまた話題になりました(笑い 僕もアジメのキムチは少しばかり「塩からい」と思う。毎日食べてたら身体のほうが塩漬けになってしまうよ。「保たせようと思って、塩が多かったかなぁ」と珍しく弱音を吐露するアジメ^^;

また、路地でずいき(芋茎)を干してはりました。どうやって食べるのか聞くと、「そんなもん(水)炊いて食べるんやんか!」と今度は短気なアジメ(笑い


(左)僕は、見ても判らないのですが、「渋柿」だそうです。

(右)で、風通しが良いらしく、3週間ほど干したものが食べごろになってました。僕も1つ頂きました。えらく甘かったです。「子どもに持って帰りーや!」ってことで、お土産まで頂くことに^^; (頂いたものの末路はこっちで紹介)

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(7)

<レジュメ (6)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

7.ウトロ地区と事業の概要




所在 京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地ほか
計画敷地面積 約2.1ヘクタール(6400坪)
用途地域 第一種住居地域(建ぺい率60%、容積率200%)
建物戸数 約2000戸(うち住宅戸数111戸)
居住世帯・人口 約60世帯・200人
高齢化率 約20%(うち12世帯は高齢者ひとりぐらし)
年金需給率 8%(日本社会では90%)
生活保護率 15~20%(日本社会では1~2%))


おもな職業 土木建築業、廃品回収業、ブロック製造業、水道業、飲食業など
道路 北側に伊勢田蔭田線(幹線)、南側に伊勢田123号、都市計画道路計画線
水路 北側に伊勢田8号水路(幹線)、南側に西宇治都市下水路(幹線)
公園緑地、その他の公共施設なし


土地所有関係 (有)西日本殖産(ただし債権整理中)
建築物の所有関係 ウトロ住民各世帯(ただし立ち退き判決確定)


小規模住宅地区改良事業の説明については、別パンフ参照。
事業主体は地方自治体(通常は宇治市)であり、事業計画については国土交通省大臣の認可を得て行い、国から補助金を得て事業を行う。

・改良事業によりつくられるもの
改良住宅(立ち退き個数分)、道路、水路。公園、緑地、地区施設(集会所)

・住民の自主事業として現在、計画されているもの
歴史記念館(仮称)。福祉施設(例えば、小規模多機能)

・それ以外のもの
広い地域を対象としたコミュニティセンター(宇治市が設置すれば)、公共施設(防災施設など)、あるいは留学生会館など

または存置部分に、(西日本殖産から譲渡された?)民間業者の分譲用地?



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8.研究会の日程




第1回(1月17日、京都市中央区)
第2回(2月05日、京都市中央区)
第3回(3月05日、京都市中央区)
第4回(4月20日、京都市伏見区)
第5回(6月29日、宇治市伊勢田町。ウトロ集会所)
第6回(7月27日、宇治市伊勢田町。京都府立城南勤労者福祉会館)
第7回(8月31日、宇治市伊勢田町。京都府立城南勤労者福祉会館)
第8回(9月28日、宇治市伊勢田町。京都府立城南勤労者福祉会館)
第9回(11月03日、宇治市伊勢田町。京都府立城南勤労者福祉会館)
第10回(11月30日、宇治市伊勢田町。京都府立城南勤労者福祉会館)(予定)


2008.11.3




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以下、青ひょん(引用者)

<「事業の概要」
余計な注釈かもしれませんが、「改良事業によりつくられるもの」「住民の自主事業として現在、計画されているもの」辺りは、全くの絵空事というか、当然に判らないことです。行政の関わりは今のところ判りませんし、西日本殖産がどうする、どうできるのかも判りません。

「全敷地のうち、一部をウトロ住民が買い取る契約を地主である西日本殖産と結んだ」だけなわけですが、韓国からの支援金を含めて住民の自己資金でもって、どこに何を作るのか、どこをどうしていくのかは、基本的に何も決まっていない現状であるわけです。あるわけですが、例えば、敷地東側を住民が買い取り住宅を建てるとして、残る敷地西側がどう開発されても良いかといえば、そこは、地域にとって有意義であり、6400坪全体を見渡したときに「一体的な整合性のある計画」であって欲しいと開発者に希望したい、、、、と、そういう状況です。

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「[まちづくり] 第10回ウトロまちづくり研究会など、、」に続く

2008年11月26日水曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(6)

<レジュメ (5)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

6.行政による住環境整備事業の実施にむけて




地方行政を事業主体とする小規模住宅地改良事業を円滑に進めるには、住民と行政が十分協議して、互いに得意な分野をすり合わせして、出来ること出来ないことを確認し課題を共有することが大切です。また、行政は住宅を建てる場合、住民が何も言わないと一般的な住宅になりがちです。ウトロ住民にとっては、自分たちの生活スタイルをどのように継続するのかが問題であり、住民に必要な施設、たとえば「お祭り(多目的)広場」などについては、住民が優先順位をつけてまず実現していくこと。いまの世代だけでなく次の世代のことも考えることが必要です。行政に対する説得力を持つには、前向きに事業を進める住民側の現実性のあるリアルな提案が不可欠です。また、国土交通省の住環境整備事業やこれに関連する事業メニューは幅広く、いろいろ組み合わせも可能です。

事業主体となった行政は事業の必然性とその効果を、一般市民や議会に説明しなければなりません。事業は個人の利益のためでないという公益性や、将来にではなくいま必要であるという即時性がその説明のポイントとなるでしょう。

そのためにはウトロ地域だけでなくより広い地域の住民要望などを先取りして組み合わせ、公共性のある内容にすることです。また、作られる公共施設の維持管理にはランニングコストがかかります。これの負担を軽減する住民側のアイデアもほしいところです。ウトロの場合、災害や河川管理という問題が、宇治市全体の問題として背景にあります。災害の防止については抜本的な対策が必要であり、事業実施のメリットを計算すべきです。ウトロの将来については、10、20、30年後まで考えて、コミュニティ計画を考えていきましょう。




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以下、青ひょん(引用者)

<「事業は個人の利益のためでないという公益性や、将来にではなくいま必要であるという即時性がその説明のポイント」
その通りですよねぇ。

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「7.ウトロ地区と事業の概要」に続く

2008年11月25日火曜日

「在日特権を許さない市民の会」の「京都ウトロ遠征」

在日特権を許さない市民の会
zaitokukai.com
12月13~15日 京都ウトロ抗議活動・親睦会

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件名 京都ウトロ抗議活動・親睦会
開始日時2008年 12月 13日 (土曜日) 17時00分 (GMT+09:00)
終了日時2008年 12月 15日 (月曜日) 17時00分 (GMT+09:00)
場所 京都ウトロ抗議


史上初!京都ウトロ遠征決定
ウトロ不法占拠を続ける無法者在日を許さないぞ!
国民の税金を犯罪在日に垂れ流す異常行政を断固糾弾するぞ!

在特会親睦会 in 京都

京都ウトロ遠征に先立ち、会長桜井誠を囲んでの親睦会を京都で開催します。在日問題や政治問題など活発な談議を通して、京都在住の会員の皆さまとの親睦を深めたいと思います。在特会会員でない方も参加いただけますので、お気軽に参加申し込みください。
なお、会場手配の都合上、親睦会参加申し込み受付は12月5日(金)18:00までとさせていただきます。お早目の参加申し込みをお願いします。

【日時】
平成20年12月13日(土)18:00から2時間程度を予定

【場所】
JR二条駅近辺の居酒屋を予定

【会費】
一人3500円

【申し込み方法】
1.会員番号(非会員の方はその旨記載してください)、2.お名前、3.メールアドレスを書き添えのうえ、下記まで申し込みください。
会場など詳しい情報は決まり次第ご連絡いたします。

親睦会参加申し込み先
zaitokuhantai2@gmail.com


京都ウトロ遠征スケジュール

平成20年12月14日(日)

1.近鉄大久保駅前にて抗議活動

【集合場所】
大久保駅改札前(西側)

【時間】
13:00〜14:00

2.広報車にてウトロ地区巡回

【時間】
14:30〜15:30


平成20年12月15日(月)

1.宇治市役所にてウトロ問題担当者と面談
  在日側の無法要求を是認する市長への要請文提出

【集合場所】
13:00までに宇治市役所前に集合

【時間】
13:00〜13:30

2.宇治市役所前にて抗議活動

【時間】
13:30〜14:30

【主催】
在日特権を許さない市民の会

※面談の時間によって以降の時間帯が変更される場合があります。
※両日ともプラカード持参歓迎
※雨天決行

最終更新日 2008年 11月 19日 (水曜日)


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「Doronpaの独り言」より
京都ウトロ遠征のお知らせ/親睦会参加者募集


【経緯説明】

戦後60年以上も在日韓国人たちが不法占拠を続ける京都ウトロ地区は、日本の在日問題を凝縮したような場所です。戦後、GHQによる競売によって日産車体の土地となった同地区では、在日たちが居座り続け数々の問題を引き起こしてきました。その後、さまざまな経緯を経てウトロ地区は日産車体から同地区の自治会長だった許昌九に3億円で売却され、さらに許は3億円で買ったウトロ地区の土地を同じ在日の河炳旭(当時の民団京都地方本部団長)が設立した会社に約4億5千万円で転売したのです。このように在日同士で土地ころがしを続けてきただけの話であり、それに振り回された住民がいるにせよ同地区の混乱の責任は結局在日側にあるのです。それがいつの間にかウトロ問題は「日本における強制連行された可哀想そうな在日」の象徴となっているのです。(なお、一連の裁判でウトロ地区の在日たちは自分たちが強制連行と関係ないことを認めています。)

平成19年になってようやく同問題は解決の兆しをみせ、現在同地区の土地を所有する西日本殖産にウトロ地区の在日側が5億円を支払い、土地の半分を買い取る合意がなされました。しかし、今度はその買い取った土地を政府もしくは自治体に5億円以上で買い取れと要求してきたのです。さらに不法占拠を続けてきた犯罪在日の要求はエスカレートしており、

1.公営住宅(住めるのはウトロ地区を不法占拠してきた犯罪在日のみで、家賃も減額又は無料)、福祉施設、歴史資料館を建設すること
2.下水道など環境整備も行うこと
3.いつでも民族楽器が使えるように住宅には防音装置をつけること

など要求しています。あまりにも盗人猛々しい在日側の要求は怒りを通り越して呆れ果ててしまいますが、なんと山田京都府知事や久保田宇治市長(宇治市はウトロ地区の所在自治体)がこれらの要求を呑む姿勢を示しているのです。要求を満たすための予算は当然市民・府民・国民の税金であり、そもそもこのような無茶苦茶な要求をのむことは、在日によるウトロ地区不法占拠という犯罪行為を是認することになります。法治国家日本において犯罪は許さない、在日のやりたい放題は許さないと在特会は史上初めて京都ウトロ地区に直接乗り込み、国民として抗議活動を行うことをを決定しました。

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以下、青ひょん(引用者)

<「日本の在日問題を凝縮したような場所です。」
そうとも言えるかもしれないけれど、同時に、ウトロの固有な問題であり、ウトロをして「在日問題」を語ると間の抜けた面も出てくる。「在日特権」を許さないというか、どうせやるなら個別に「ウトロ特権」を許さないという立ち位置で語らないと、もともとの「在日特権を許さない」という立ち位置が「あぁ、何でもありなんだな」と誤解されるのではないかと、人ごとながら心配する。

少なくとも行政はいわゆる「在日問題」を解決するという建前は語っていない(良きにしろ悪きにしろ)。

しかしながら、「ウトロだけ特別なのではないか?」といった声が存在するのもひとつの事実であろうと想像するし、また、「ウトロ特権」と後ろ指さされるような「町づくり」は、地域も、ウトロ住民も、関わっている人間も、皆が望んでいないことであるので、是非に、皆が納得できるようなアイデアを行政や町内会へ表現して欲しいと思います。

ウトロのアジメとかだと、町内に来てもろたら「よう勉強してはるねぇ~」とお茶出しかねないよな、、、と想像してたんだけど、なんだ、町内は「広報車」でまわるだけなのか。威圧感ばりばりでコンタクトされないことを望みます。お互いに気分が悪いからねぇ。

個人的には、残念ながら私用で「親睦会」には参加できないんだよな。残念だ。こういう場で直接話を続けることが、筋通しにもなっていくのだが。


<「ウトロ問題は「日本における強制連行された可哀想そうな在日」の象徴」
え? いや、それはなってないだろう。なってるの?(なってると個人的には嫌なんだが) 韓国国内で民族右派がそう喧伝したがっていた(喧伝した)という背景はある。でも、現場のトーンはそうじゃないぞ(と個人的に思っているぞ)。


<「このように在日同士で土地ころがしを続けてきただけの話であり」
京都府や日産車体が、どうして無関係な主体になってしまうんだろ。まぁ、まだ解けてない謎もあるけど、カタがついた話もあるので良いのかな。


<「今度はその買い取った土地を政府もしくは自治体に5億円以上で買い取れと要求」
え? なんのことだろう。僕は知らなかったなぁ。


<「1.公営住宅(住めるのはウトロ地区を不法占拠してきた犯罪在日のみで、家賃も減額又は無料)」
元ウトロ住民のみが公営住宅に入ることができるというルールになるならば、それは「公営住宅」と呼ばないで、別の呼び名が必要だよね。身寄りがなく、自分の家屋を潰した後、新しい土地家屋を購入建設できる力が無い、行き場の無い高齢者が住民の中に居ます。彼彼女らが残りの人生をできれば友人たちと過ごせるような場所作り(公営住宅など)は、住民はじめ援助して下さった方々の願いです。

韓国政府の財政支援もあり何らかの表現(歴史資料館)は「有り」の方針で動いているようですが、個人的にはもう少し小さいスケールで何かできないのかな、、、と思ってたり、、。

「在日特権を許さない市民の会」では、ウトロにおいて誰の何の金がどう使われるのか、どう分析しているのかよく判りませんが、「犯罪在日」って、、、。行政にうっかり、「在日韓国人在日朝鮮人は犯罪者でありウトロ住民は犯罪者であり、即刻、強制退去か死を与えるべきである」と思っていたとしても(?)口に出さないことを願います。きっと、どん引きされます。だいたい、行政対応が遅いです。もっと昔の段階なら宇治市に歓迎されたかもしれないのに、、、


<「2.下水道など環境整備も行うこと」
そうか、公共の共用空間のライフライン整備を願うこともおこがましいことなのか。


<「3.いつでも民族楽器が使えるように住宅には防音装置をつけること」
騒音問題はどこでも大変だからねぇ、自分ん家の隣で、気分悪いときにケンガリ鳴らされたらゲンナリするわな。で、そんなお願いもあったかもしれんけど、ベスト3?の3番なんや!?(笑い  僕が住宅の設計者なら例えば15世帯ごとに、カラオケしたり楽器を叩けるような設備の整った部屋を盛り込むけどなぁ。「そんなもんいらん、アカン!」って言われたらしゃぁないけど、そのときは、自分たちで何とかするんちゃうかなぁ、、。でも「あまりにも盗人猛々しい在日側の要求は怒りを通り越して呆れ果ててしまいますが」というのは言いすぎでは無いだろうか? いや、感性はそれぞれだから止めときましょう。




「在日特権を許さない市民の会」の今回の活動が、市民、近隣住民にとって実りあるものになるよう願い、また、その活動を通じて「ウトロ特権」なる特権が無いように、市民、近隣住民が納得できる町づくりになるよう願っております。

また、つっこまんでええところに足つっこんでもうたという感想にならないことを願っております。

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追記

Doronpaの独り言の該当記事に、以下のようにコメントしときました。余計なことかもしれんけど、、まぁ、いいか。 --

<ウトロ
「5億円以上で買い取れと」

この部分、住民が転売し利益を得るよう望んでるように読めるが、それは無いので、そうではなくて、住民が買い取れない残り半分を、地主は5億以上で買いとれと要求しているとかな話にすればどうでしょう? 地主がそう要求してるかどうか知りませんが^^; 地主も住民も「在日」。「在日」に税金使うな!という文脈では破綻してないかもしれません。勇み足になってるみたいなので書きました。
http://utoro.blogspot.com/


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[まちづくり] 第10回ウトロまちづくり研究会、、干し柿など 、 re:ウトロ不逞在日への反撃ウトロ不逞在日への反撃 に少し続く

2008年11月17日月曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(5)

<レジュメ (4)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

5.まちづくり研究会で議論




雑誌「高瀬川」にはウトロ問題が毎回、収録されてきました。特に、土地の利用と所有のあり方を考えるうえで、コモンズ(共有地)の研究は、ウトロ・コミュニティの将来計画に大きな示唆を与えるものでした。2008年1月に研究者や支援者が住民とともに新たなまちづくり研究の組織をつくりました。ウトロのまちづくりの目標は、 「ウトロ住民は在日朝鮮人コミュニティとその文化を守りながら、周辺の日本人地域社会とも共生してこの土地に住み続けたい」 という住民の願いを実現することです。もともと、ウトロ問題は「居住の権利」の実現の問題のみならず、現代の植民地主義や民族差別と深く結びついた歴史的・社会的問題でもあり、まさに「在日」社会の象徴と言えるでしょう。


日本行政による住環境整備事業の実施により、住民の居住の確保(立ち退きの結果、ホームレスにされないこと)を実現することを前提に、まちづくりの基本項目として、先にあげた3点。繰り返しますが、


(1)みんなが暮らせる公的住宅と高齢者福祉施設の建設、

(2)ウトロ・在日の歴史を継承する『歴史記念館(仮称)』の建設、

(3)多くの市民に開かれた『コミュニティセンター』の建設、



これを町内会は目標としました。


研究会では、まちづくりの計画のあり方について、多くの事例を紹介し、論議を重ねてきました。また、住環境事業の実施例を住民とともに訪問、見学しました。大津市唐先(市営住宅の建替、デイサービスセンター)と京都市南区東九条(1階は特養老人ホーム。2階以上は市営住宅)です。また以下の参考事例を紹介しました。


1、平屋木造の公営住宅(京都府与謝野町岩滝。京丹後市網野)

2、コリア公園や記念館(鳥取県琴浦町日韓友好交流公園「風の丘」、横浜市鶴見区の県立「三ツ池公園」のコリア庭園)

3、川崎市の在日集落である戸手地域の現状と桜本地区の「川崎在日コリアン生活文化資料館(ネット上)」

4、兵庫県芦屋市若宮地区の震災復興住宅環境整備事業

5、震災地・神戸市長田地区の現状と新潟県長岡市山古志の公営住宅

6、宇治市木幡の「あじろぎ横丁」(コーポラティブ住宅)

7、兵庫県芦屋市若宮地区の震災復興住宅環境整備事業、など


グループリビング(コ・ハウジング)について、人々が集まって住む、その基本的な考え方と北欧での先進地の事例、日本での実施例などが紹介されました。また、木造公営住宅に注目して、国土交通省が作成したパンフレットにある具体例を画面で紹介しました。

1、秋田県営手形山住宅(木造3階建、その他)

2、青森県営多賀台団地(木造連棟長屋・タウンハウス)

3、岩手県営鳴石団地(木造連棟長屋・タウンハウス)

4、兵庫県宝塚市切畑住宅(木造3階建、枠組壁工法)




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以下、青ひょん(引用者)

<基本項目
基本項目については、何度か触れたけれど、、、まぁ、いいか。それよりも、話題についていけない。知らない物件が半分あるよ(つд`) 

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「6.行政による住環境整備事業の実施にむけて」に続く

2008年11月14日金曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(4)

<レジュメ (3)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

4.「新しいまちづくり」の基本項目




最高裁上告棄却による立ち退き判決の確定から7年目、2007年後半からウトロをめぐる状況は画期的に好転しました。日本と韓国の市民運動によって日本政府と韓国政府が動き出して、問題解決への道筋が見えてきました。2007年10月にはウトロ町内会が設立した「中間法人ウトロ町づくり協議会」と(有)西日本殖産がウトロの土地(半分)の売買契約を締結しました(5億円)。ウトロ住民と土地所有者・西日本殖産との対立は解消しました。これにより住民は強制立ち退きの危機から、ひとまず救われたのです。


2007年11月には京都府知事と宇治市長が東京に出向いて国土交通大臣に改善要望を行い、12月5日には国・府・市の3者の行政側連絡組織「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が発足しました。12月9日、ウトロ町内会と守る会は、「さあ、新しいまちづくりへ!ウトロ報告集会」を開催し、今後の新たな運動の方向を考える第一歩としました。


ウトロ住民の要求の中心は、日本行政による住環境整備事業の実施であり、その前提の上に、基本項目として、(1)みんなが暮らせる公的住宅と高齢者福祉施設の建設、(2)ウトロ・在日の歴史を継承する『歴史記念館(仮称)』の建設、(3)多くの市民に開かれた『コミュニティセンター』の建設の3点です。今回のウトロまちづくり計画は、韓国からの支援や日本政府の住環境改善事業の実施が見えてきた中で、より具体的なものが求められています。対立してきた土地所有者の西日本殖産が「まちづくりのパートナー」となりました。


2007年12月末には韓国国会(2008年度予算)で30億ウォン(約2億円)のウトロ土地買収にかかる支援予算が可決されました。


宇治市は都市づくりの基本理念として、「緑豊かな、住みたい、住んでよかった都市」とし、「豊かな自然や文化・歴史的遺産を守り育て、未来に引き継いでいくことによって、住む人が誇りと愛着を感じることのできる宇治を創造することを目指す」と述べています。この理念を是非、ウトロ地区でもまちづくりの中で生かしていきましょう。




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以下、青ひょん(引用者)

<韓国国会(2008年度予算)
さぁ、急がないと!(笑い

しかし、これだけ政治が動く状況を作りだしたとは、本当にご苦労さまでした。>頑張った人

あとは実務屋、がんばろうや。

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「5.まちづくり研究会で議論」に続く

2008年11月12日水曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(3)

<レジュメ (2)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

3.ウトロ・コミュニティ




2002年6月、在日コリアンの高齢者福祉に取り組むNPO、京都コリアン生活センター「エルファ」の分室がウトロで開設されました。ハルモニ(おばあさん)たちを、同胞のヘルパーが世話をするデイサービスが始まりました。


「植民地時代に朝鮮半島から日本に渡ってきた一世たちは苦難の人生を送ってこられました。高齢になって一人暮らしになったり、親しい友だちを亡くされたり、さびしい思いを抱いたハルモニたちが、ここに来て、古い友だちと再会し、昔懐かしい話に花を咲かせたり、チャンゴの音に乗って、忘れていた歌を歌ったり、踊ったり、一緒に体操をしたり、いろいろな工作物を作って遊んだり、ハルモニにとっては孫のようなヘルパーさんたちに甘えて、楽しい時間を過ごしています。ハルモニたちの誕生日会では、その月に生まれたハルモニたちをきれいに化粧して、チマチョゴリを着せて、写真をとって、ご馳走を並べて祝ってあげるのです。そんな、普通のウトロの住民が、安心してここで暮らせる日が来ることを願っています。」(住民のひとり)


「いつ立ち退きされるかと不安をかかえる中で、この地域の高齢者たちのくつろぎの場ができたことは意義深い。ウトロは在日コリアンの証言の場。苦労を重ねて来た人たちの笑いの拠点であってほしい」と、金教一町内会長。ウトロを在日朝鮮人の地域福祉の拠点にする取り組みが始まりました。


長い年月の経過とともに、ウトロ集落の実態も大きく変化してきています。人口が周辺に流失して、地域内に空き家も目立つ状態になりました。とくに比較的経済力のある若い世代(標準世帯)がウトロから近くに転出し、生活保護、高齢者単身世帯などの「社会的弱者」がウトロに残るという傾向が続いています。子どもの数が減り、成長すれば外に出て行きます。在日一世の高齢者はこの地を離れてはとても生きていけません。高齢者のみの世帯の場合も多くあります。


地上げ事件の発生から20年間、ウトロ地区内では住宅の新築、増・改築はほとんどなく、木造家屋は経年による老朽化により居住条件がますます悪化しています。周囲の住環境の劣悪さも放置されたままです。毎年のように豪雨時には周辺の公共水路が溢れ、床上・床下浸水する被害が発生しています。ウトロ地域には未だに上水道がなく、飲み水を井戸水に頼っている世帯が3分の1あります。また、高齢者はウトロ・コミュニティの中だけで一日中生活しており、高齢者住民の居住実態はすでに限界を超えています。特にトイレ、風呂場、玄関などの部分的な改修工事(バリアフリー)の必要性も増しています。また、介護保険制度など、利用できる制度や内容について住民の知識は十分ではありません。


戦後半世紀以上、ウトロの土地は朝鮮人全体の歴史的、社会的共有財産であるかのように、在日朝鮮人社会では広く認識されてきました。土地の譲渡や売買は共通の価値観で結ばれた朝鮮人同胞の間だけで行われてました。多くの場合、口頭だけで契約書はなく、トラブルもありませんでした。仮にトラブルがあったとしてもその社会の中だけで解決されました。朝鮮人コミュニティとその社会規範の中で、住民は安心して生活できたのです。そして、その土地は居住を支える基礎でした。ウトロの土地は単に金銭売買の対象とされる商品でも、資産ストックの手段でもありませんでした。土地は人間が定点で生活するための基盤であり、居住福祉の向上のために利用する社会的資源です。


ウトロは「在日朝鮮人のふるさと」であると同時に、周囲の日本人地域社会と共生するメッせージを発信する拠点であることが求められています。



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以下、青ひょん(引用者)

<「エルファ」
よう開業してくれはったと思います。老人デイサービスセンター、介護事業業界に携わる方ならお判りいただけるでしょうが、エルファも同じく大変厳しい状況で業務を行っていると聞きます。悩みのたねは尽きることがないですね、、。(僕個人の仕事的には、介護事業業界、福祉事業業界に係わりあいがないので実際のところ実情をよく判っていません)

<「上水道がなく」
土地裁判闘争の前夜、「水道無くて困る!なんとかならないか!?」と対行政の取組みの中、地域内のメイン通路に上水本管を敷設して頂く経緯がありました。消火活動に用いる消防水利(消火栓バルブ、100m包含)の設置のためにも上水本管が必要だったわけです。アスファルト本復旧はなされてないままですが、上水本管の敷設が行われました。 しかしながら、本管から延長距離の短い世帯は良いのですが、遠いと、自己負担による上水の引込み工事は結構な金額になるので → 諦めて → 今までどおり井戸水ポンプアップ、、、ということで、上記の通り世帯の3分の1は上水道を使用できておりません。その後、大腸菌騒ぎがあったりで、結構やっかいです。

<「多くの場合、口頭だけで契約書はなく、トラブルもありませんでした~~」
驚く話だけど、僕も実例を幾つか聞いており知っている。ウトロ住民の多くがそうであったのかは知らない。また、その「ウトロルール」がどのような前提に基づくものなのか、、、なんて辺りは、殆ど誰も明確な認識を持って居なかったのではないかな、、、と想像する。

少しズレる話だけど、僕の実家(大阪)でも生活互助組織みたいなものはやっぱりあって、その全体像は見えないんだけど、ケモイム(契集会?)(韓国風「たのもし(頼母子)」みたいな生活互助)の繋がりもあった。村社会内ルールとかの経験の無い新興住宅育ちの僕の妻には、町内会のようなものだと説明するが、何というか、よく判らない「結びつき感?」とかは、想像つかんだろうなぁ。

翻ってウトロにだけで通じる(通じた)そういったルールの「なんとなく、そうなんだよ」という感覚は、よそ者の僕には体得できないものなのかもしれない。

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「4.「新しいまちづくり」の基本項目」に続く

2008年11月11日火曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(2)

<レジュメ (1)のつづき

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ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

2.オモニのうた




住民は団結して裁判闘争を続けましたが、裁判後の対応も考えるようになりました。京都地裁でまだ係争中の1995年ごろに作られたのが、「ウトロ・コリアタウン」プランです。日本行政が住環境整備事業(小集落改良事業を想定)を実施して、地域を全面的にクリアランスする。道路・水道をつくり、改良住宅に住民は移転する。残りの土地は町内会の共有地として残す、あるいは住民に分譲する。日産から企業メセナを加える。こうした計画が書かれていました。まだ市民運動の内部文書という性格でしたが、その後のまちづくり計画の原型となりました。裁判での住民側全面敗訴の見込みが強まると、国際人権法を学んで主張を準備しました。また、ワークショップを重ねるなどして住民の住居への意識を高めて、判決後の事態にそなえました。ウトロに実力で住み続ける一方、「強制立ち退き」の対案として、現実的な解決プランを準備することにしました。1998年に「ウトロまちづくり研究会」(第1次)は、ウトロの全建物の個別調査を実施しました。(このときのデータがいま生きています)。そして、調査結果を踏まえて、日本行政(当時は建設省)が住環境改善事業(例えば、密集住宅地区改良事業を想定)をウトロ地区で実施することは可能であるとの確信を得ました。


2000年7月、住民は「まちづくりプラン」基本方針を確認し、9月町内会は宇治市に(京都府にも)「まちづくり」の要望を提出しました。しかし、予想されていたとはいえ、2000年11月の最高裁上告棄却決定は大きな衝撃でした。住民の居住が「不法占拠」と断定され、(日本の国内法では)司法による解決の道は閉ざされたのです。強制執行が日程にのぼることになりました。しかし、国連(ジュネーブ)での国際法に基づく主張が認められて、2001年8月に国連・社会権規約委員会は日本政府に対し、最終見解(総括所見)を示し、その中でウトロを救済するように勧告を出しました。


これを受けて、2002年2月に「われら住んでたたかう」住民団結集会を行い、「オモニのうた」を参加者の全員でつくりました。


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オモニのうた(集会宣言)

いやや!
どんなことがあっても、私はよそには行かないよ
あの世からお迎えがあるまでは
なんでか わかるかね?
それはね
ここは私の生きてきた「ふるさと」なんだ
みんな 私のこと知っている
私はひとりくらし
この年まで学校には縁がない
具合が悪いときは
近所の人が本当によくしてくれたり
薬も 手にとって
こうして飲むんだよと飲ませてくれる
みんなが気づかってくれる
だから ひとりぼっちじゃない 淋しくない
なんでって?
私は「ウトロのオモニ」だから
2002年2月24日 「われら 住んでたたかうウトロ団結集会参加者一同」



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「強制立ち退き反対!居住の権利を守ろう!代替住宅の建設が保障されない限り住民は闘う、(日本)行政は救済策を行え」と訴え、ウトロ地区の表の道路に向けて大きな看板を掲げたのです。




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以下、青ひょん(引用者)

<「ウトロ・コリアタウン」
おぉ、そんなタイトルついてたっけ。懐かしいが、あの頃と状況も人も変わったよね。
ウトロは交通網、施設網、商圏など立地条件が微妙なんだよね。「だから、逆にイイっ!」って売り込みも難しい^^; 

<「オモニのうた」
「オモニのうた」に繋がっていく、畳込むような流れにびっくり(笑い
住民の思いをある意味代弁したことは理解するし、同時に、まったく状況の知らない人が見るときに理解を得られない様子も理解する。元ネタはアレだそうです。
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「3.ウトロ・コミュニティ」に続く

2008年11月6日木曜日

[まちづくり] 第9回ウトロまちづくり研究会(1)

「第9回ウトロまちづくり研究会」を福祉会館で行いました。
後半は、住民の方々を交えて広場で焼肉大会です。

体調が本調子でなかった僕は、「次回はぜひ息子たちを連れてくるんで、」、と口の悪いアジメたち(!)を納得?させなあかんかったり
、、どこそこの○○が死んだ、××がどうなった、、と、暗いニュースもたくさん聞いたり。

時間がどうしようもなく経ってるよねぇ。

10年以上ぶりに見る顔もあり。驚いた。「一緒にバンドしようぜ、って言うてたやん!ハンチョッパリってベタな方向で!!」と僕が昔に言うてた人です(笑

お土産に頂いたお肉は、帰宅後、リンゴがペロリと食べちゃいました。

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日時 11月3日(月)午後1時から4時。
場所 京都府城南勤労者福祉会館2F、視聴覚室
主催 ウトロまちづくり研究会
協力 ウトロ町内会、ウトロを守る会


1、研究会の前回までの経過報告。(守る会)
 ウトロのまちづくりをめぐるその後の動き。(ウトロ町内会)
・土地所有者の債権整理関係
・日本行政の動き
・韓国政府の動き

2、「木造公営住宅」の実施例の画面紹介。
兵庫県宝塚市県営団地(木造3階建、枠組壁工法)

3、「ウトロまちづくりプラン、基本骨子案」の提案と討論。

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<レジュメ

ウトロの新しいまちづくり基本構想(案)


ウトロまちづくり研究会

1.ウトロ集落のルーツ




在日朝鮮人集落・ウトロ地区(京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。約65世帯、200人)のルーツは戦時中の「京都飛行場」建設工事です。1940年、戦争遂行のため計画された京都飛行場建設事業は航空機製造工場やパイロット養成所を含む一大軍需プロジェクトでした。滑走路造成など大規模な土木工事に、安価で強靭な労働力として朝鮮人を収容する「飯場」(労働現場に付随した仮宿舎)が、工場敷地の片隅の低湿地に作られました。いまのウトロ地区です。


1945年、日本の敗戦により軍需工事は中止されました。朝鮮人労働者は日本政府や軍需企業から何の補償もなくその場に放置され、全員が失業者となりました。祖国に帰るに帰れない人々は飯場跡に身を寄せ合い、助け合って生きました。「日雇いの土木作業と食糧の配給があった戦時中より、むしろ失業と食糧難の戦後の方が辛かった。地獄の日々だった」と在日1世はは口を揃えます。1950年ごろの新聞記事によると、当時「伊勢田朝鮮人飯場」とよばれたウトロ地区には60世帯、300人の朝鮮人が住んでいました。戦後、ウトロの土地(約21000平方メートル)の所有権は、国策航空機製造会社の後身・日産車体株式会社(日産自動車系列)に軍需企業の遺産として承継されましたが、土地は清算処分されず放置状態のままでした。1960年代になると、日本各地の朝鮮人集落は都市化の波によって、立ち退きになり多くは消滅していきました。ウトロ地区でも北の共和国に帰還する家族があり、他の地域から流入する世帯もいて再編されました。現在の世帯の半数は戦時中の労働に起因するものの、残りの半数はこの時代に集まってきたものです。


1987年、業績不振にあえぐ日産自動車グループは遊休不動産の処分を行いました。同年、ウトロの土地は3億円で住民の一人・許昌九に売却され、のち転売されました。土地を買い取った不動産会社(有)西日本殖産は全住民に立ち退きを迫り、1989年、京都地裁に「建物収去・土地明渡」訴訟を提起しました。住民は時効による土地所有権の取得を主張しましたが、判決ではすべて退けられました。



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以下は、青ひょんの勝手な独り言

<「安価で強靭な労働力」
誉めてる!?(笑い そう言えばこの言い回しって、誰が最初に使ったんだっけ?

<「全員が失業者となりました。」
これもよく突っ込まれるところ。”戦後”はウトロだけじゃない、みんな失業したんだ!ってね。「あんときはお互い辛かったのぉ」と言うツッコミはネットでは少ない。別に「知らんかったら黙っとけ!」と言いたいわけじゃないけどね。

<「土地は清算処分されず放置状態のまま」
ぬぬ? なんのことだっけ?

<「残りの半数はこの時代に集まってきたものです。」
この辺りが、実は面白い話がてんこもりな部分なんですが、さすがに面白すぎて、僕も伝聞でしか聞いたことがないなぁ。(テキストで読んだことがない。というか誰も書けない)

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「2.オモニのうた」に続く

2008年10月3日金曜日

[news] ウトロ地区住環境改善へ 宇治市庁内に「検討委」設置/京都新聞

宇治市の担当窓口が総務から、宇治市長を委員長とする各課部長(?)クラスの専門委員会に変わったそうな。他にもそういう委員会があるのだろうか? 役所で横の繋がりをどう機能させうるのかって想像しにくいなぁ。委員会を構成する各々の部長レベルに相談(事前協議)しにいって「話は聞いてるよ」という段取りになるのなら、すごい良さそうだけど、そういう話では無いとのこと。(青ひょん)

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京都新聞 山城版 2008.10.02

ウトロ地区住環境改善へ
宇治市 庁内に「検討委」設置



在日韓国・朝鮮人が多く住む京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の土地問題に関連 し、市は1日までに、庁内の各部署が連携して住環境整備を検討するための「ウトロ 地区住環境改善検討委員会」を設置した。

同日の市議会総務委員会で報告した。ウトロ問題はこれまで総務部が担当してきた が、全庁的な組織設置は初めて。

市によると、検討委は川端修副市長を委員長に、総務や市民環境、健康福祉、建 設、都市整備などの各部長ら11人で構成。7月下旬に設置し、初会合で同地区の現 状を確認したという。

同地区をめぐっては、国と京都府、市でつくる「ウトロ地区住環境改善検討協議 会」が、住民側と意見交換する方針を示している。この日の市議会総務委で川端副市 長は「住民の意見を聞くのは協議会や実務レベルの幹事会。市の検討委で聞くことは 考えていない」と答弁した。


発信:吉田

2008年9月30日火曜日

[news] 住民ら他地区参考に研究会

え、12月上旬には具体的なプラン案をまとめるとな!?
そうか、僕の参加は間に合いそうにないなぁ。ちょっと残念。

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Kyoto Shimbun 2008年9月29日(月)

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008092900078&genre=K1&area=K20

ウトロの新しいまちづくり学ぶ
住民ら他地区参考に研究会



在日韓国・朝鮮人が多く住む京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の新しいまちづくりに向けた研究会が28日、同市の府立城南勤労者福祉会館で開かれた。住民や支援団体のメンバーら約30人が参加し、他地区のまちづくり活動の事例を参考に、公営住宅建設など住環境整備の流れや注意点を学んだ。

 奈良まちづくりセンター(奈良市)の藤野正文副理事長は、地区改良事業に携わる立場から「住民が地区に足りないものを話し合う上で、周辺地域の人たちも利用する道路は広くするなど配慮が必要だ」と話した。

 公営住宅整備を手掛けるCASEまちづくり研究所(大阪市)の寺川政司代表は「生活に必要な施設に予算を考慮しながら優先順位を付けていくことが大切。行政との信頼関係の構築も欠かせない」とアドバイスした。

 ウトロ地区では、今後2回の研究会を経て、12月上旬にも具体的なまちづくりプラン案をまとめる予定。

2008年9月17日水曜日

チーム・ウトロの一人、ヨンテさんから『中村のイヤギ』上映のお知らせ/斎藤

斎藤です。

ウトロに中村地区を紹介したチーム・ウトロの一人、ヨンテさんから、です。

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「この度、お陰様で、やっと上映会を行えることになりました。斉藤さんとともに、中村に行った日を懐かしく思います。お忙しい中だとは思いますが、また、良ければ是非おこし下さい。

2006年春、朝日カルチャーセンター大阪教室にて映画監督原一男さんの『ドキュメンタリーする快楽』という講座が開催されました。講座では、原一男監督が全身で情熱的にドキュメンタリーについて語ってくれ、その情熱に打たれた講座生が一人また一人とカメラをもってドキュメンタリー制作を始めました。講座は1年後の2007年に終わってしまいましたが、様々な紆余曲折を経て、ついに2008年10月5日に講座から生まれた5本の映画の上映会を行うこととなりました。是非是非、みなさんおこし下さい♪」

上映会『ドキュメンタリーする快楽』
日時:2008年10月5日(日)

場所:とよなか男女共同参画推進センター『すてっぷホール』定員150人(阪急豊中駅下車スグ『エトレ豊中』5F・6F)
上映作品:初監督5人(女性3人を含む)のドキュメンタリー作品  チケット:1部500円(プログラムABC3部制各プログラム入れ制)※前売り券購入希望の方は、直接すてっぷの窓口で購入されるか、主催者まで連絡下さい。
ブログ:「ドキュメンタリーする快楽」 http://blog.livedoor.jp/nakazakieizo/
※作品の詳細や、各監督のプロフィールが載っています。  

上映スケジュール
※各部入れ替え制です
(第1部)
10:15-第1部(A)開場 10:30-開会の挨拶
10:35-A『中村のイヤギ』上映
監督:張 領太
11:45-張監督の挨拶

2008年9月10日水曜日

[news] 公営住宅や高齢施設建設検討へ「ウトロ地区環境改善協議会」

「歴史記念館」なぁ、、、。これまでにも話題にはなってましたが、ほんまどうすれば、多くの人が納得したり、長く存続するような施設になりますかねぇ。これまでの時間で解答が出てないなら、これからも出なさげで、出たとこ勝負になりますか、、。

「趣味で、専従一人が9時~5時居れて、6畳一間で、ウトロに遊びに来たはいいが右も左もわからんような旅人にお茶を出す」ぐらいの”記念館”施設ができたら良いけどねぇ。それは記念館じゃ無いかもしれんけど。

相変わらず、「記念”館”はいらんやろ、、、」とこっそり思っておりますが、僕が知らない間に、割と「具体的なワクワクするような記念館のイメージが共有され始めている!」という状況になってるなら、すんません。「建設スペースの確保」も検討とのこと。小さくてカワイイ規模が個人的には良いなぁ、、、。

【追記】
あ、しまった、そう簡単な話ではなくて、「様々な援助をウトロに対してしてる層」(特に韓国サイド)に対する「何らかの格好」を示す必要があったんだよねぇ。うぅ、色々と面倒そうだなぁ。援助していただいたものは個人的な財産には使われへんやろし。住民や地域の共有スペースやないとアカンもんねぇ。

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http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008090900087&genre=A2&area=K00
kyoto Shimbun 2008年9月9日(火)

公営住宅や高齢施設建設検討へ
「ウトロ地区環境改善協議会」



(写真)ウトロ地区住環境改善検討協議会で話し合う国交省の岡崎住環境整備室長(右から2人目)ら=京都市南区

     在日韓国・朝鮮人が多く住む宇治市伊勢田町ウトロ地区の住環境の改善策を話し合う、国土交通省と京都府、宇治市でつくる「ウトロ地区住環境改善検討協議会」の第3回会合が9日、京都市内で開かれた。改善事業を進めるにあたっての「基本的な考え方」をまとめ、実施を検討する事業を初めて具体的に明示。住民から要望のある公営住宅や高齢者福祉施設の建設など計10項目を掲げた。

 同地区の土地問題に関連し、国を含めた行政機関が公営住宅の建設を公式に検討するのは初めて。今後この「考え方」を基に議論を重ね、住民との意見交換も踏まえて改善策の基本構想を策定する。

 「考え方」は、対象となる土地の所有権問題が地区で解決されていることなどを基本条件に、周辺の住環境整備につながるまちづくりの視点を併せ持つことなどを掲げた。

 事業の検討項目は、公営住宅や高齢者福祉施設、防災対策や道路・排水などのインフラ整備、浸水対策など合わせて10項目を明示。うち、住民側が希望した歴史記念館については、住民ら民間による実施を前提に、建設スペースの確保を検討する−とした。

 会合後の会見で、府の太田昇総務部長は「住民との意見交換を次回協議会までに行いたい」と実務レベルの協議となる見通しを示した。国交省住環境整備室の岡崎敦夫室長は「国交省としてできる支援は精いっぱいやっていきたい」と話した。

 会合ではこのほか、6−8月の4回の大雨で、地区内の延べ32棟に浸水被害があったことなどが報告された。



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もう少し詳しい記事↓

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洛南タイムス記事2008/9/10

浸水対策も含め構想策定へ
宇治ウトロ地区の住環境整備
公営住宅の建設など検討



在日韓国・朝鮮人が住む宇治市伊勢田町ウトロ地区の住環境整備に向け、国土交通 省・京都府・宇治市で構成する第3回「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が9日、 京都市内で開かれ、事業に対する基本的な考え方をまとめた。検討項目として立ち退 き者のための公営住宅建設、高齢者福祉施設の建設など住民要望をふまえた10項目を 挙げた。「今後、住民と十分な意見交換をする必要がある」(太田昇・府総務部長) としており、実務レベルの協議を進め、住民との協議も重ねていくことになった。

協議会は国土交通省、同省近畿地方整備局、府、市の4機関で構成し、昨年12月に 発足した。
委員は国交省住宅局の岡﨑敦夫・住環境整備室長、同省近畿地方整備局の西植博・ 建政部長、京都府の太田昇・総務部長、宇治市の川端修・副市長の4人。 課題整理と問題意識の共有に向け、今年2月末にはウトロに住む居住者を対象に行 政による初の実態調査を実施。
3月の第2回協議会にはウトロ町内会(65世帯200人)の役員も出席し、ウトロ 全域(約2・1㌶)での住環境整備事業の実施▽公営住宅建設▽高齢者福祉施設の建 設(または併設)▽歴史記念館(民間事業)建設に向けたスペース確保――の4項目 を「町内会の基本要望」として示した経過がある。

協議会では今年6月~8月の府南部地域の集中豪雨によるウトロ地区の浸水被害や 実務を担う幹事会に設置した浸水対策部会の取り組み経過報告を受け、住環境改善の 基本的な考え方を協議。
住環境整備が他の地域とバランスが取れたもので、府民(市民)理解が得られるも のであると共に、あいつぐ集中豪雨にともなう浸水対策もふまえ、「水害に強いまち づくりの視点を併せ持つものであること」を申し合わせた。

協議会で確認した検討項目は「全体的なまちづくり計画」として

▽地区周辺を含めた防災対策
▽居住施設整備
▽道路、排水路、上下水道などのインフラ整備
▽その他居住環境整備――の4項目。

「付随事項」として
▽公共施設用地の所有形態
▽地区西側部分の考え方――の2項目。

「地区住民からの要望」として
▽立ち退き者のための公営住宅建設
▽高齢者福祉施設の建設(または併設)
▽歴史記念館建設
▽浸水対策(原因解消)――の4項目を掲げた。


協議後の会見で府の太田総務部長は「基本的な考え方をふまえ、町内会とも意見交 換していきたい」と説明。
国交省住環境整備室の岡﨑室長は「地元は無論のこと、市・府も熱意を持って取り 組まれている。国交省としてもできる支援は精一杯やっていきたい」と述べた。 【岡本幸一】

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2008年8月28日木曜日

[news] 人革党事件の遺族らが寄付金/朝鮮日報

朴正煕政権を叩いて「でっちあげ」を「でっちあげであった」とする動きは、現政権下でもまだまだ健在なんだね。僕の周囲でも色々きな臭い動きありましたね。ウトロとは別の側面で、色々と言いたいこともあるけれど、、、。やめとく。下の記事は朝鮮日報なので「『人民革命党事件』も『民青学連事件』も「北の指示というのは全くのデマであり、歴代ファッショ政権の事件は概ね(すべて)捏造品だ」というベクトルには乗るものではある。

遺族の方々には本当に感謝して頭が下がりますが、、。

「でっちあげの部分」を「でっちあげであった」とするのは、大変意義のある喜ばしいことだけど、そんな単純な問題じゃないと皆わかってるんだから、そっち方面の人たちには、もっとナイーブに表現して欲しいよな。「ほんとうのこと」まで胡散くさくなるじゃないか。そっちの「ほんとうのこと」を大事にしている人もいるんだよ。

ウトロとは関係ないですがね。

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京都ウトロ地区問題:人革党事件の遺族らが寄付金



 1975年、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領による「維新体制」の下で内乱予備陰謀罪に問われ処刑された「人民革命党再建委員会(人革党)事件」の遺族たちが、韓国政府から受け取った賠償金の一部を、京都府宇治市のウトロ地区に住む在日韓国人への支援金として寄付した。

 処刑された故ハ・ジェワンさんの妻イ・ヨンギョさんや、故ソン・サンジンさんの妻キム・ジンセンさんなど人革党事件の遺族らは21日午後、ソウル市中区貞洞のセシールレストランで、ウトロ住民会のキム・ギョイル会長など、ウトロ地区の代表者たちに5000万ウォン(約516万円)の寄付金を手渡した。

 ウトロ地区は、宇治市の郊外にある面積2万1157平方メートルの集落で、1941年に旧日本軍の飛行場建設のために動員された朝鮮人の子孫178人(71世帯)が住んでいる。上下水道も整備されていない同地区で暮らしてきた在日韓国人たちは、89年に土地を所有している不動産会社から立ち退きを求められ論議を呼び、その後住民たちが土地を買い取る動きを見せているが、十分な資金が集まっていない状況だ。

 この日手渡された寄付金5000万ウォンは、人革党事件の遺族らが、昨年行われた再審で32年ぶりに無罪判決を勝ち取った後、韓国政府を相手取り起こした損害賠償請求訴訟を通じて受け取った賠償金の一部だ。

 ソウル中央地裁は昨年、政府に対し、人革党事件の被害者本人に10億ウォン(約1億300万円)、妻や両親に対して5‐7億ウォン(約5100‐7200万円)、子どもたちに4億ウォン(約4100万円)の慰謝料を支払うとともに、1975年から32年分の遅延損害金(年率5%)も支払うよう命じ、賠償額は計637億ウォン(約65億4700万円)に達した。

 遺族らが手渡した寄付金は、「ウトロ国際対策会議」に寄付され、ウトロ地区の土地を購入して在日韓国人たちが住む権利を確保するために使われることになっている。

キム・ジンミョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

2008年8月5日火曜日

google maps ストリートビュー 「京都ウトロ、オモニのうた」



google maps の日本地図でも「ストリート・ビュー」機能が都市圏中心に広範囲に実装。「京都ウトロ」も3Dでグリグリと一部見れる。(敷地北側道路)。惜しむらくは、例の看板撤去前の「味のある景観」ではなかったこと。

それでも、道路から「オモニのうた」が読めたりして、なんちゅう世の中だと、びっくりです。

京都の町並みも大変イイ感じ。

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google Maps「京都ウトロ」を検索。右上アイコン、または吹き出し内の「ストリートビューアイコン」クリックで、「青い道」「黄色の人アイコン」などを選択。あとは、東や西に移動。

実際に行ったことのある人にとっては雰囲気が思い出される面白いものかもしれないけれど、知らない人にとっては何のことやら、、、という感じかもしれない。

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2008年7月30日水曜日

匿名さんへの返事(1)



↑にて匿名さんよりコメント(2008/07/24 20:27)を頂く。

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では、ついでと言っては失礼でしょうが、兼ねてより疑問に思っていました事をウトロ地区に詳しい方に聞いていただければと思いますが、いかがでしょうか?

もしかすると、気分を害されるかもしれませんが・・・

同じように苦労された在日朝鮮・韓国人の方々の多くは法的に不備なくコツコツと貯めたお金などで土地や家を買われたりしたはずです。少なくとも私はそう信じたいです。

この問題で、お金を貯めて土地・家屋などを買って暮らしていらっしゃる在日コリアンの方々はどう思っていらっしゃるのですか?

この問題は企業の土地を何十年にもに渡って不法占拠したあげくの裁判ですよね。

上での青ひょんさんのコメントで

>また、土地オーナーの西日本殖産が不払いであった固定資産税も新たな土地売却の際に整理されそうですね。

と、書かれていましたが、不法占拠された土地の固定資産税を何十年と払っていたのは日産車体ではないですか?
それとも、土地の賃借料などを毎月、ウトロ住民の方は日産車体に払っていたのでしょうか?

日産車体に対しても書かれていますが、企業として持ってるだけで固定資産税などの赤字が出て、しかも、何十年に渡って一円の利益も出ないなら債務を切り離すために買いたいと言ってきたら売ってしまうのは当然なのではないでしょうか?

つまり、ウトロ地区は水道さえ通っていない言われ、そこでの生活も苦労があることと思いますが、

数十年にも渡って他の地域の人たちが負ってきた住宅費および関連税金(これは日本人・在日外国人問わず人生の買い物・出費の中の一番に近い金額)を払わずにすましているという事実があるのではないでしょうか?

かなりの経済的優遇を受けてきたのと同じではないですか?

土地・家屋を所有しているとかかる固定資産税は馬鹿になりませんし。
代りに税金を払ってくれていた企業を罵倒しすぎのはどうでしょうか?

他の地域で自力で土地家屋を取得された在日コリアンの方々は一緒にされては困ると思われないのでしょうか?

時代や差別、貧困などを理由にしての不法行為は理由にならないと思います。同じ時代境遇でもまじめにお金を貯めて家を買った方々の方がおおいでしょうから。

この問題の加害者はだれですか?

私は、この問題についてはウトロ住民の方々が加害者だと思います。
たぶん、激怒されているとおもいますが。

私のウトロ地区認識

1・飛行場建設のために雇われた人たちのための飯場があった。

2・朝鮮半島出身者の多くは経済的理由のために日本に移住してきたり、もともと日本で暮らしていた人達。

3・朝鮮半島出身者のみではなく、日本人も三分の一強はいた。

匿名で聞くことをお許しください。
しかし、世間一般で言われていることいがいで、認識不足のことがあればおしえてください。



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で、僕は以下のようにレスポンス(2008/07/24 23:24)。

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僕は、先の発言で偉そうでしたね。すいません。

「特権」に反応したというか、「誰が悪い論」に興味がある人と対話しなアカンのか、、、と思って、気が滅入ったんです。
「責任の所在」というものと「誰が悪い論」というのは、位相の違う話でありまして、、、。

企業、住民、行政、党派、民族団体、銀行、土建屋、地上げ屋、、、、もしかして、関係者全員が「良かれと思って。住民のために」やってたかもしれんやん? で、結果上手いこといかなかった部分は、さてこれから、それぞれが何をする?何が出来る?って話かもしれんやん。それも、実はそれぞれは「人生かけて良かれと思って」やってたかもしれんやん。

それやのに、誰が悪いとか、住民が悪いとか、、、。
誰が悪者かを決めるゲームじゃ無いんだってばよ。

えっとその辺も含めて、すんません、また4,5日したら様子を見にきて頂けないでしょうか?
僕が言える範囲で答えたいとは思ってるのですが、、、

私事で申し訳ないんだけど、あと100時間ほど寝る間もなく集中したい仕事がありまして、それで、心中穏やかじゃないんだわ。僕。

ごめん。

でも、質問してはる範囲って、昔のウトロの掲示板のログとかの斜め読みで判るような気も。Wikipedia や 2チャンのまとめでは判らんやろな。検索で見つからないなら、申し訳ないですが、待ってください。

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で、4、5日たってしまったんだけど、どうにも上手に時間を作れないので、小出しでレスポンスさせてもらいます。ごめんなさいね。今日も終電まで頑張れよオレ。


では少しずつ、、、。

(a) 僕は、京都ウトロに関して5、6年前までは、事情を割とよく知る層に居たと思うけれど、その後、子育てや仕事やらで「一番面白そうな瞬間?」も距離を置いて見ており、以前の僕を「よく知るランキング20位」に入ってたとすると、今や「よく知るランキング500位」くらいなもんで、そういう意味で、匿名さんにとって質疑対象としては申し訳ないです。

(b) 「誰が悪いのか論」ですが、今や「和解(?)」しちゃいましたが、「地主の西日本殖産が、ウトロ住民を訴える」という図式が以前あって、原告の訴えが裁判所に受け入れられました。それをもって「住民が悪かった」と結論づけたい層や、「なんか良く判らないが、朝鮮人が悪いに違いない(笑)」と考える層があるのかもしれません。

住民の中には自称町内会長に対して文句を言いたい人も確かにおります。

厳本町内会副会長がよく話すのは、、、ウトロの歴史やウトロの問題について考えるとき、「戦争」の記憶とウトロを切り離して考えられない。ウトロを訪問する人が、ウトロを通じて、戦争であったり平和といった問題について「学ぶ」ことが出来ればありがたい、、、という話。つまり、あえて何が悪いかと言えば、「戦争」なんではないか? とか(厳本さんの話を聞いた僕の解釈だけど)

僕が思うには、日本語ようわからん、とりあえず一所懸命働いて家屋を苦労して手に入れた一世が、人生後半地点で突然訴えられて「え?土地ってセットちゃうかったん?」みたいに驚くのは、至極わかりやすい。それが「悪い」ことだったとはとても思えない。日本語をもっと勉強しとけよ、とか、日本に居るなら日本の法律は「常識」じゃない、、みたいなツッコミは僕はようしない。それが出来る人もおるけどね。適わんなぁ、という感じ。何が悪いかと言えば、「対話能力の低さ」でしょう。僕も、住民も含めてだけど、自称自治会長や企業や国や行政が、例えば、戦争のための飛行場建設に労力を費やした朝鮮人労務者に対して「言葉足らず」だったんじゃないか? で、対話能力、言葉足らずという問題は、相手側だけに求められるものでもなく、住民も(僕も)、その低さゆえに、ここでこうして、あなたに突っ込まれたりしてるんだろうねぇ、、、。という感じ。

でも、そんな反省してる間に、既に一世は多くが他界してるんだよなぁ、、。

(c) 固定資産税など。
住民は今まで払ってなかったと思いますよ。また、西日本殖産も払ってなかった。何年か前に明らかになりました。日産車体がどうしてたかは正直知らない。業績の悪化してきた日産車体にとっては、固定資産税も含めて処分したかったんだろうよ、で、ペイしたかどうかは判らないけど、多くの住民が知らないところで精算は済んだ。

当時、日産車体にとって、不良債権化してたウトロ地区が、どの様な内容で、自称町内会長サイドに渡されたのかは、本人が喋らないしよく判らないけれど、色々と想像はされてきた。とりあえず、固定資産税未納問題などは、不良債権処理一般の話として、”世間”ではどうなのか自分でお調べください。西日本殖産も払ってなかった。それも含めて、今回、精算される、ということ。 払ってこなかったツケは当然ある。まとめて払うメドがついたか(?)というところ。

住民が怒るのは想像に易いぞ。事情を知ってる「日産車体、行政(国土法絡み)、その他個人・企業(自称町内会長、土地転がし?金貸し?)」が片方におって、あと、事情をまったく知らない多くの住民がおる。事情を知ってるグループは、ウトロ住民のためもあってこっそり?話を進めてたのかもしれないし、こっそり進めている気は無かったのかもしれない。

ある日、出て行けと訴えられて、「日産車体よ、なんでうちらに黙ってことを進めてん!」と怒る。判りやすいと思うけどなぁ。
当時事情を知ってたグループの人たちは、こんな大きな話だ、危ない橋を渡ってると認識してなかったのか? 今では考えられない。全員が住民対応はなんとかなるやろうと楽観的に考えていたのか? 自称町内会長も頑張ったのかもしれないが、そら町内をまとめるなんて無理やろうよ、、、

(d) 住民は、家を自力で買ったり建てたりしてきたんだよ。土地についてはホッタラかしだった。だから「血と涙の結晶である家を壊すというのなら、うちを殺してからにして」と既にお亡くなりになった住民が話したりしてたんだよ。しかし、その地と涙の結晶である家屋も、「つぶさなあかんねんやったら、潰される前に、自分で潰す」言うたり、状況が動いてきてね、、、、。

関係ないけど、僕は家族4人で賃貸マンション暮らしだけどね。まぁ、大変だよ。

(e) 匿名かどうかは問題じゃないんだよ、匿名で何をするかが問題なんだよ、、。だから、そんなこと気にしなくていい。でも、匿名だからと言って、僕に情報のないところで「世間一般」とか言われても、どこの世間なんだか判らないよ。だから、新聞で読んだけど、とか、2ちゃんのまとめを読んだけど、ニュー速でチラっとだけとか、ウトロの写真集を読んだよ!とか、バックボーンを語ってくれないと、話が噛み合わないぞ。

(f) あなたの認識

1・飛行場建設のために雇われた人たちのための飯場があった。
2・朝鮮半島出身者の多くは経済的理由のために日本に移住してきたり、もともと日本で暮らしていた人達。
3・朝鮮半島出身者のみではなく、日本人も三分の一強はいた。

えっと、1の通り、ウトロ地区は当時の飯場です。飯場の土掘って^^;、滑走路サイドへ土を盛ったから、ウトロ地区は地盤レベルが低くて、水害が大変なんだわ。

2の通り、経済的理由のために日本に移住してきたり、戦前に日本に渡ってきており暮らしていた人たちが多いです。また、いわゆる朝鮮人炭鉱労務を経験してきた住民も居られました(他界されました)。

3はどうだっけ? 当時日本人が1/3居たって、飯場に?? 忘れた。そうだっけ? また判ればレスします。

とりあえず、続きはまた。

2008年7月8日火曜日

またまた大雨被害/斉藤

ウトロを守る会の斎藤です。

今日(7月8日)の雨で、またウトロ地区で浸水被害。床上浸水1戸、床下浸水数戸です。午後5時から6時のスコールで、今回はウトロの北側にある「伊勢田8号水路」(宇治市が管理)があふれ、集落の中央付近で被害が出ました。(前回、6月20日の被害家屋は大丈夫でした。)宇治市からは消防ポンプ車2台がきました。町内会はすぐに消毒をしてくれるように、宇治市に依頼します。まったく、もう・・・・・。

2008年6月30日月曜日

大雨被害3(続報)/斉藤

斎藤です。

ウトロでは、水につかったたたみや家具が、街角に大型ゴミとしてつまれていましたが、いまは撤去され、一応平穏に戻りました。ただし、被災した住民の精神的ダメージが大きく、金君子さんは疲れがでて、子どもの家で寝ています。町内会も被災者に見舞金を送ることになりました。

ウトロ地区のフィールドワーク(案内)については、住民の現状に配慮し、7月6日(日)午後1時から3時。7月12日(土)午後10時から12時の2回に集中して行ないます。近くの人の参加を呼びかけています。28日も宇治市が主催する「まちづくり条例シンポ」集会に町内会長ら5,6人が参加し、学習すると同時に、(案内)ビラをまいてウトロの存在を印象づけました。

水害についての宇治市との交渉は、次の記事の通りですが、あまりに酷いので、新聞報道されると世論の批判力で、来週にはなんとか改善するでしょう。住民も(記者も)憤慨していました。では、また。

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以下は、6月28日、読売新聞(地方版)の記事です。

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豪雨で浸水被害 ウトロ町内会 代替住宅など宇治市に要望



20日夜、京都府南部を襲った集中豪雨で、約20戸に浸水被害がでた宇治市伊勢田町ウトロのウトロ町内会の金教一会長らが、27日、同市役所を訪れ、被害の激しい世帯への代替住宅提供と井戸水の水質検査などを要望した。 町内会によると、ウトロ地区南の水路(幅約2メートル・深さやく2.5メートル)があふれ、19戸が床下浸水、4戸が床上浸水した。床上浸水した男性会社員(33)宅では、ほとんどの家財道具を廃棄。生後3週間の乳児と1才男児を抱えており、一時避難的に公営住宅の空き家などを提供してほしいと要望した。また、全68戸中、半分が井戸水を使っている現状を説明し、緊急の水質調査を求めた。

市長公室参事や住宅課長が対応。現行の災害救助法では救済方法がないの一点張りで、陳情の終わり間際に「検討する」と応えるにとどまったという。金会長らは「要望を十分くんでもらえなかった」と話していた。

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6月28日、朝日新聞(地方版)の記事の一部です。

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要望書を受け取った宇治市危機管理課長は「床上浸水には一時避難制度はなく事例もない。今回は災害救助法が適応されるものでない。宇治市は道義的な面を含めて検討したいと説明した」と話す。

2008年6月28日土曜日

集中豪雨:被害で支援など要望書/毎日.jp

親類縁者など、緊急避難的に身を寄せる先がある住民ばっかりと違うからなぁ。
行政サイドの調査から何年も経つけど、大雨降ったら町内の敷地内に制限なく流れ込む市の水路敷は、改修されてないんだっけ?

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集中豪雨:ウトロ町内会、被害で支援など要望書-宇治市長に



 20日夜に宇治市などを襲った集中豪雨で、23戸が床上・床下浸水の被害を受けた同市伊勢田町ウトロの「ウトロ町内会」(金教一会長)が27日、久保田勇市長あてに、被災世帯などへの緊急支援・対策を求める要望書を提出した。これに対し、市側は「検討する」「早急に調査する」と回答したが、具体的な支援内容については明言せず町内会役員らは会見で「落胆した」と語った。

 同地区での床上浸水は4戸。建設作業員の男性(33)は「乳児2人を避難させたり荷物を高いところに移して、大変だった」と言い、現在は山科区の両親宅に身を寄せている。また、一人暮らしの女性(80)は城陽市の娘宅に避難したが、被災以後、体調を崩したという。

 このため町内会は、この2世帯への住宅の確保▽約半数が生活用水にしている井戸水の水質検査▽再発防止のための水害の原因調査・対策--を求めた。【三野雅弘】

毎日新聞 2008年6月28日 地方版

2008年6月24日火曜日

夕方のTVニュースでウトロ特集/斉藤

ウトロを守る会の斎藤です。

今日、8ちゃんでウトロ特集があります
18時20分から40分。

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6月24日(火)[地上波/大阪/18-19時]

関西テレビ

FNNスーパーニュース アンカー
》熟年離婚急増のワケは?女性が動かす“離婚マネー"に提言
》▽あらたなまちづくりの時代へ・・・京都ウトロの今
》▽大阪府・橋下知事が予算案発表
》▽オグシオ練習場完成

2008年6月22日日曜日

大雨被害2(続報)/斉藤



ご心配ありがとう。
ウトロを守る会の斎藤です。

ウトロの大雨被害の続報です。6月22日午前中に金教一ウトロ町内会長、西川ひろし連合町内会長(宇治市市会議員)と共に、住民被害者宅を訪問し、今回の原因となった西宇治都市下水路(宇治市が管理。ウトロの南、自衛隊側)の実地調査をしました。

今回の水害の主な原因は、自衛隊駐屯地内排水と伊勢田8号線(水域は近鉄を越えた東側住宅地に及ぶ)の排水を下流に流す西宇治都市下水路(バイパス)が、ウトロ地区を横切って作られていますが、集中豪雨による急激な雨量増大によって、濁流が水路の用壁を越えたものです。ウトロ地区と自衛隊敷地の境界付近で、水路は2カ所直角に曲がった部分がありますが、ここの下流から、城南勤労者福祉会館の近くで道路をまたぐ狭い口の部分まで、濁流が市道を越えて、ウトロ広場から西の方向の道路上を流れました。水位はウトロ広場で約40センチ。ウトロ地区の西の端にある金君子さんの自宅付近で、約30センチでした。いまも住宅の壁に水位をしめす線がはっきり残っています。

最も被害が大きかったのは在日朝鮮人京都無年金訴訟の原告のひとり、金君子さん宅、1階の全部が浸水し、畳6枚が全く使えなくなりました。彼女は子供さんのところで1泊しましたが、家が心配なので昨日から自宅に戻り、家の中を片付けていました。また、向かい側の岩本さん宅は留守で、ここは赤ちゃんを含む5人家族ですが、このままではとても住めない状態でした。床はずくずく、荷物が部屋の上部に積み上げられていました。親戚宅に避難しています。一時転居も考慮中のようです。飯場跡の向え側の金順愛さん宅は、台所と低い部分の部屋が、約30センチの浸水。「ひとりで住んでいるし、足も膝も痛くて、とても不安だった」といいます。家の汲み取り便所の便槽に水が入ったため、汲み取ってもらいました。また、市役所から消毒をしてもらいました。ウトロ集落は全体としては、落ち着きを取り戻して、街の辻に水害にあった家具やたたみ、ガラクタが積まれている状態です。市役所が明日にも来て大型ゴミとして収集していく予定です。

6月21日の昼、同胞の学生45人が(たまたま)ウトロに来ていて、被害者宅の片付けなどに奮闘してくれました。町内会長がタオルと軍手を支給し、汗だくの中、本当に助かりました。これぞ実地のフィールドワークになったようで、とても感謝です。ウトロ町内会としては、早急に被害状況を整理確認し、住民の要求をまとめて、宇治市行政へ改善要望をしていくことになるでしょう。

大雨被害/斉藤

ウトロの斎藤です。

6月20日晩の大雨により、京都府宇治市の在日朝鮮人集落・ウトロ地区(約65世帯、200人)で床下浸水が21戸、床上浸水4戸の被害がでました。(※その他の家も、軽度だが床下浸水のもよう。)
今回は地区内の西側に被害が集中し、床上浸水4戸のうち2戸の被害程度はひどく、到底このまま住める状況ではないため、21日住民はそれぞれ親族の家に身を寄せました。うち1戸は在日1世高齢者のひとり暮らしで、京都無年金訴訟の原告の方です。

ウトロ地区の浸水被害は、地区の周囲にある宇治市が管理する公共水路より、ウトロ地区内が低地にあるため、毎年梅雨や台風の時に、繰り返し被害が発生していますが、ほとんど放置されたままでした。これほど大きな被害がでたのは、約20年前の台風以来だと住民は話してします。

宇治市役所の災害本部は、21日朝からウトロ地区内で被害調査と、(し尿の)汲み取り、消毒作業などを行い、とりあえず土嚢100個を支給しました。

ウトロ町内会としては、早急に被害状況を整理確認し、今後宇治市行政へ改善要望をしていく予定です。以上、取り急ぎ。

2008年6月13日金曜日

丹波マンガン記念館バスツアー

個人ブログにメモしてたマンガンの話ですが↓)
僕は残念ながら参加できませんが、「ウトロまちづくり研究会」も絡ませてマンガンのツアーを計画したそうです。
あと、10日遅かったら参加できるんだが (つд`)

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コリアン・マイノリティ研究会 第61回例会「丹波マンガン記念館」バスツアー



日 時:7月19日(土)10:00(JR京都駅八条口バス乗り場集合)
10:15出発
17:00(JR京都駅到着予定)
先着39名様(事前予約要) 終了後、希望者で東九条で懇親会 
★ご予約は⇒ masipon@nifty.com TEL/FAX06-6328-1073
携帯090-9882-1663(藤井)まで

会 場:丹波マンガン記念館(京都市右京区京北下中町西大谷45番地)
http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/
参加費:3500円/学生・院生3000円/高校生以下1500円
(バス代・入館料・資料代込み) 【弁当・飲み物はご持参ください】

1989年に開館した「丹波マンガン記念館」(京都市右京区京北)は戦前・戦後の朝鮮人の鉱山労働の跡を直接見ることのできる数少ない現場の一つです。この記念館が来年末には閉館することになりました。

記念館は館長の李龍植(リリョンシク)さんとアボヂで初代館長の李貞鎬(リヂョンホ)さん〔じん肺による呼吸不全で、1995年死去。享年62歳。2歳で渡日した貞鎬さんの骨は舞鶴の海に散骨された〕が墓の代わりに手作りで作ったミュージアムです。

国や地方公共団体からの公的な補助もなく、施設も老朽化し、入館者が減る中、毎年600万円以上の赤字が続いて、もうこれ以上維持することはむずかしくなったとのことです。本来ならば、このような仕事は個人でやるにはあまりにも荷が重過ぎます。2002年にはNPO法人(特定非営利活動法人)になったものの、家族経営で20年近くよく頑張ってこられました。

今回、コリアン・マイノリティ研究会では、在日朝鮮人運動史研究会関西部会・ウトロまちづくり研究会と共催でバスツアーを企画することにしました。館長の解説を聞きながらマンガン鉱山の坑内・記念館を見学します。初めての方を優先的に歓迎します。

●コリアン・マイノリティ研究会●
http://white.ap.teacup.com/korminor/
●共催:在日朝鮮人運動史研究会関西部会
http://ksyc.jp/sb/
ウトロまちづくり研究会

2008年5月28日水曜日

[news] 東九条、大津で公営住宅など視察/城南新報

あぁ、行きたかった。
少しは絵が描けてきたのでしょうか!? (だれが^^;?)

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城南新報 2008.05.27

東九条、大津で公営住宅など視察
複合的施設の現状学ぶ
ウトロ住民、「まちづくり」への一歩



在日コリアンが多く暮らす宇治市伊勢田町ウトロ地区の住民たちが25日、滋賀県大津市と京都府南区東九条にある高齢者福祉施設併設「公営住宅」を訪れ、住民が共生する複合型施設の現状や地域コミュニティを学んだ。「モデルケース」としている2施設の視察を通じ、新たなウトロのまちづくりを思い描いた。

ウトロ町内会(金教一会長)は、まちづくり計画の重要項目の一つとして、高齢者が入居できる公営住宅の建設を掲げている。高齢者福祉施設が併設された公営住宅の利点を学び、将来のまちづくりの参考にしようと、同町内会が主催し、住民ら約50人が参加した。東九条地区の公営住宅への視察は、06年に続き2回目。

この日一行は、滋賀県大津市になる穴太団地の「唐崎デイサービスセンター」と、東九条市営住宅の「東九条のぞみの園」に足を運んだ。このうち、東九条地区にある東九条市営住宅(79戸)は、1階にショートステイやデイサービス、相談コーナーなどを兼ね備えた総合福祉施設「東九条のぞみの園」、2階から6階にはシルバーハウジング30戸を含むマンションタイプの同市営住宅が合築された複合施設。在日コリアンが多い同地区では1980年代末に地上げが横行し、居住権確保に向けて住民たちが京都市と交渉を重ねて公営住宅建設に結びついた経緯、福祉サービスの利用状況などを施設職員が説明し、「(介護保険の限界は)地域の力と施設の力を合わせてどのようにすればよいか考え、取り組むことが大切」などとネットワークづくりをアドバイスした。

このほか、園内の機能回復訓練室や浴室、市営住宅にある中庭の見学もあり、地域と一体になってコミュニティを築く福祉施設の利点に、参加者たちは熱心に見入っていた。

同町内会の厳明夫副会長は「公共福祉がどのようなものか実際に見て、学ぶことで、住民に将来どのような施設を作りたいか、という抱負が具体化できた。今後の事業展開に生かしたい」と話した。

ウトロ地区の土地問題では昨年、地権者と住民側でちくの東半分約1万500平方メートルを売買する契約が締結され、解決への光が差し込んだ。また、昨年末には国、京都府、宇治市の三者で構成する「ウトロ築住環境改善検討委員会」が発足、今年2月末には同協議会による初の実態調査も行なわれ、新たなまちづくりに向けて住民たちの機運が盛り上がっている。

2008年5月27日火曜日

[news] 63年目の「戦後処理」 伊丹・中村地区/神戸新聞NEWS

「「中村」の名を外すことに住民の抵抗がなかったわけではない。「存在したことすら忘れ去られてしまうのではないか…」」

という部分に、グッとくるものがあります。事情をよく知るわけではないので、ようやったなぁ、、と。

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63年目の「戦後処理」 伊丹・中村地区/神戸新聞NEWS



http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200805sengo/01.shtml
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200805sengo/02.shtml
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200805sengo/03.shtml

「(下)再出発新しいまちに希望託し」より部分引用↓

市営住宅二棟全九十五戸への入居と、三十六事業所の大半が移転したのを受け今年四月、新しい自治会が発足した。「市営桑津住宅自治会」。空港レーダーサイト用地転用に伴う新たな地名「伊丹市桑津四丁目」にちなみ、中村地区自治会から衣替えした。

 「中村」の名を外すことに住民の抵抗がなかったわけではない。「存在したことすら忘れ去られてしまうのではないか…」。戦後のほとんどをこの集落で過ごした自治会長朱宗燮(チュチョンソプ)さん(69)は、複雑な心境をのぞかせる。

 レーダーサイト跡地への集団移転計画が持ち上がってから半年が経過した二〇〇二年四月ごろ、旧中村地区自治会が約百六十世帯と約五十事業所を対象に、移転の賛否を問うアンケートを行った。住民には長年暮らした「第二のふるさと」から離れがたいとの思いもあったというが、賛成は八割を占めた。

 その背景には、建物補償の方針が伝えられていたほか、「ウトロ訴訟の影響もあった」(住民の男性)という。

 京都府宇治市にあるウトロ地区は中村と同様、戦時中、軍用の飛行場建設に携わった朝鮮人が住んだのを機に戦後、在日コリアンらが定住。訴訟は土地を所有する不動産会社が立ち退きを求め起こし、二〇〇〇年十一月、住民側の敗訴が確定していた。

 その後、日韓の支援組織の働き掛けで住民土地の半分を購入することになり、韓国政府も資金援助を決めたが、裁判結果は中村の住民らの決断を促した。「高齢者などが路頭に迷うことになりかねない、強制的な立ち退きだけは避けたかった」

2008年5月21日水曜日

[まちづくり] 見学会とWSのお知らせ

守る会より、見学会とWSのお知らせ
直前過ぎて、、予定たたん。参加できん (つд`)

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ウトロ町内会の学習行動に一緒に、参加しませんか?

ウトロ住民は国土交通省住宅整備室から紹介された「住環境整備事業の実施例」を近隣各地に、集団で見学することで、新しいまちづくりのイメージを多くの住民が共有する作業をしています。(エンパワーメント)。

5月25日(日)、ウトロ町内会はバス1台(40人)で大津市唐崎団地と京都市南区東九条「のぞみの園」を見学します。

朝9時半 ウトロの南隣り、京都府城南勤労者福祉会館の前に集合。

10時、出発。 11時から0時半ごろ 大津市唐崎団地(市営住宅の立替、デイサービスセンター)の見学(場所はJR唐崎駅から西にすぐ。徒歩2分)。
2時ごろから4時 京都市南区東九条「のぞみの園」(1階、特養老人ホーム。2階以上は市営住宅)の見学。車中で説明・感想出し合い。
5時ごろ、ウトロに帰る。

参加希望者は大津市唐崎団地に直接きてください。(集合場所はJR唐崎駅出口に11時。湖西線京都駅発10時41分、唐崎駅着11時が便利です。)

ウトロ住民と守る会は、

(1)みんなが暮らせる公的住宅と高齢者福祉
(2)ウトロ・在日の歴史を継承する歴史記念館(仮称)
(3)そして、 多くの周辺市民に開かれた地域コミュニティセンターの建設

この3点がまちづくりの目標としています。

また、周辺の宇治市民を主な対象としたウトロ現地案内をします。次回は5月31日(土)午前10時から12時。集合場所は、「ウトロ広場」です。近鉄伊勢田駅から西にまっすぐ徒歩8分。伊勢田建設の事務所を過ぎて左側に、ウトロの絵看板、ここを南(左)にまがってすぐ。

2008年4月21日月曜日

[news] ひと:金教一さん 韓国が支援する京都ウトロ地区町内会長/毎日jp

》このほど、(町内会長は)自らの過去を書き留め冊子にした。

え? 会長、そんなん書いてはったんですか。 それは読ましてもらわなあかん!

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http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20080418k0000m070142000c.html

毎日新聞 2008年4月18日 0時02分

ひと:金教一さん 韓国が支援する京都ウトロ地区町内会長



 1940年ごろ、軍用飛行場建設に携わった在日朝鮮人らが定住して以来、多くの在日コリアンが土地所有権のないまま暮らしてきた京都府宇治市ウトロ地区。「ここに住み続けたい」との訴えが実り、土地買い取り資金30億ウォン(約3億1000万円)を含む予算案が昨年暮れ、韓国国会で成立した。

 明け渡し訴訟を起こされた89年、町内会長に。だが00年に敗訴が確定した。上水道の普及率4割、築25年以上の住居5割以上という住環境に強制立ち退きの不安が加わり、若者たちは町を出た。現在の71世帯、179人は提訴時の半分だ。それだけに「やっと買い取りに現実感がわいてきた」の言葉に実感がこもる。

 このほど、自らの過去を書き留め冊子にした。7歳のころ心臓発作で死んだ1世の父、日本語をまともに話せず、自分たちを養うため鉄くず拾いに駆け回った母。そして「チョーセンはあっち行け」と差別された少年時代。つらい思い出ばかりだった。それでも酒を飲むと陽気に笑う。「1世と比べたら私らの苦労なんてなんでもない」と思うからだ。

 現地NGOの募金が約6000万円、4000万円の匿名寄付もあった。韓国政府の支援決定後、日本人からの寄付も相次ぐ。買い取り価格は5億円。「みなさんのおかげ。最後はここで安心して死にたい」

【略歴】金教一(キム・キョイル)さん 兵庫県出身。終戦直前からウトロに住み、建設関係3社を興す。在日2世の妻(69)と2人暮らし。68歳。

【新宮達】

2008年4月17日木曜日

[まちづくり] 丹波マンガン 苦労話

学生時代、ツーリングでマンガンによう遊びに行きました♪

僕は参加できないんですが、、↓

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第1回民際学研究会のご案内



来たる4月20日(日)、「ウトロまちづくり研究会」と合同で、第1回民際学研究会を開催することになりました。丹波マンガン記念館(京都市右京区京北)の館長李龍植氏においでいただき、当時の朝鮮人労働者の様子や、マンガン記念館を開館した経緯と維持の苦労などをお話いただきます。

日 時:4月20日(日)14:00~16:00
場 所:龍谷大学1号館1階サービスラーニングセンター(京都市伏見区深草)
http://www.ryukoku.ac.jp/web/map/fukakusa.html
Tel075-645-2094(内線1336)
講 師:李龍植氏(丹波マンガン記念館館長) 

2008年3月31日月曜日

[news] 地区実態調査の結果報告

実態調査結果がぽつぽつ出てきてましたね。 厳本さんの姿をテレビで拝見することにも、だいぶ慣れました。 厳本さんが役人と並んで記者会見するときの、役人さんたちの微妙な表情が何を語ってるのか気になる。(単に緊張されてるのかもしれんが^^;)

是非とも、ウトロ地区以外の市民にも受け入れられる、メリットのある事業にしなあきませんね。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008032700041&genre=C4&area=K20

ウトロ、高齢化率27・3%
住環境改善協 住民、公営住宅など要望


Kyoto Shimbun 2008年3月27日(木)

京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の土地問題で、国、京都府、宇治市でつくる「住環境改善検討協議会」は26日、京都市内で第2回会合を開いた。高齢化率が3割近いなど、府と市が2月末に実施した行政初の地区実態調査の結果が報告された。また、住民から初めて意見を聞き、今後も意見交換することで一致した。

 調査結果によると、地区の人口は179人、71世帯。65歳以上は49人で、高齢化率は市平均より8・5ポイント高い27・3%だった。また、独居高齢者が15世帯あり、全世帯の21・1%に達した。住居は68戸。下水道はなく、上水道も36戸で未普及で井戸水を使っていた。3分の2の45戸が床下浸水の経験があった。

 会合は非公開で、ウトロ町内会の厳明夫副会長ら役員4人が意見を述べた。▽西半分を含む地区全域の住環境整備▽公営住宅と高齢者福祉施設の建設▽民間事業で歴史記念館を建設する際の場所確保-を要望した。

 会合後、厳副会長は「(地区以外の)市民もメリットがある事業にしてほしいと特に求めた」と述べた。協議会の小田広昭・国土交通省住環境整備室長は独居高齢者の多さを挙げ、「地域でどう見守られながら生活していくか考えなければならない」と高齢者対策を重視する考えを示した。

 小田室長は、地区内に建設業などの事業所が18もあった点を新たな課題に挙げた。今後、事業主の意向なども考慮しつつ対応を考える。今後は、協議会と住民がまちづくりについてそれぞれ検討した内容を突き合わせた上で第2次、第3次の現地調査を重ねる方針。

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http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20080327ddlk26040583000c.html

宇治のウトロ地区:住環境整備など要望
行政に住民の思い--改善検討協


毎日新聞 2008年3月27日 地方版

京都市内で26日に開催された「第2回ウトロ地区住環境改善検討協議会」。会合では国土交通省、近畿地方整備局、府、宇治市の委員に加えてウトロ町内会の役員も初めて出席し、住民としての思いを訴えた。会合後に記者会見した国交省の小田広昭・住環境整備室長は「地元の方と今後も議論しあうことを了解しあった。今日の最大の成果だ」と述べた。

 この日公表された実態調査結果によると、地区の居住者は71世帯179人。町内会が3年前に行った調査での65世帯約200人からやや減少し、1世帯平均人数も減っている。また、住居は68、事業所は18(休業中含む)、空き家は46あった。

 会見で小田室長は「高齢者が49人と多い。地域見守りをどうしていくのか考えないと。事業所については今後事業を継続する意向があるかどうかも把握したい」と話し、「高齢者のためのまちづくりのモデルになる可能性がある」とも述べた。

 ウトロ町内会の厳明夫副会長らは、▽ウトロ地区全域の住環境整備▽公営住宅の建設▽高齢者福祉施設建設▽歴史記念館建設スペースの確保--などを要望。厳副会長は「今日、要望したばかりなので具体的な話はこれからだが、率直に話を聞いていただけた」と話した。【三野雅弘】

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http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200803260053.html

宇治・ウトロ地区、半数が井戸水使用 初の公的実態調査


asahi.com 2008年03月26日

戦時中の飛行場建設にかかわった在日韓国・朝鮮人らが住む京都府宇治市のウトロ地区の住環境整備に向け、行政による初めての実態調査の結果が26日、国や同府・市による「ウトロ地区住環境改善検討協議会」で公表された。地区内の約半数の世帯が井戸水を使用し、3分の2の世帯が床下浸水の経験があることなどが明らかになった。

 初の公的調査は2月、宇治市職員らが同地区を戸別訪問して行った。調査報告によると、地区内の71世帯179人のうち、27%が65歳以上の高齢者。上水道の整備は20年前からようやく始まり、今も36戸が井戸水のみを使用。排水設備も不十分なため、45戸が大雨などによる床下浸水を経験していた。

 土地所有権を巡る争いが続いていた同地区では昨年、住民が地権者から土地の半分を買い取ることが決まった。高齢化が進み生活弱者が増えているとして、住民は公営住宅の建設などを求めている。ウトロ町内会はこの日、地区全域で住環境の整備を進めるよう求める要望書を協議会に提出した。

 

2008年3月24日月曜日

[news] 看板作り、宇治市会委現地視察

》「昨年末に取り外した看板は血文字みたいな赤で『強制執行反対』などと書かれ、
》ウトロは怖い所と言う人が多かった。

はっはっは! 血文字!
うむ。ごもっとも。

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http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20080323ddlk26040365000c.html

看板作り:地域との共生目指し--ウトロ地区 /京都



土地所有権のないまま多くの在日コリアンが住む宇治市伊勢田町のウトロ地区で、地域との共生の願いを込めた看板作りが進んでいる。韓国政府の支援金などを基に、住民による土地買い取り後の日本の行政による町づくりを見据えた取り組みの一つだ。

 子供からお年寄りまでが仲良く触れ合う様子を描くのは、在日2世の父と3世の母を持つ権〓美(クォンウミ)さん(35)=同市=。絵は趣味といい、住民に聞いた話や写真を参考にイメージを膨らませた。

 地区内の在日高齢者向けデイサービス施設「京都コリアン生活センター エルファ」に勤め始めた4年前から、地区への関心が高まったという。「私は一貫して日本の学校に通ったが、住民たちは自身のルーツを大事にしている。情も厚く興味深い」と語る。

 住民で2世の黄順禮(ファンスンレイ)さん(75)は「年齢や国籍に関係なく仲の良いウトロの雰囲気がにじみ出ている」という。権さんは「昨年末に取り外した看板は血文字みたいな赤で『強制執行反対』などと書かれ、ウトロは怖い所と言う人が多かった。親しまれる町のきっかけになれば」と話していた。【新宮達】

毎日新聞 2008年3月23日

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http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008032100227&genre=A2&area=K20

宇治市会委、ウトロ地区を現地視察
町内会役員の説明聞く



京都府宇治市の市議会予算特別委員会は21日、国、府、市が住環境改善策を協議中の伊勢田町ウトロ地区を現地視察した。住民と地権者による昨年9月の土地買い取り合意後は初めての視察。水はけの悪さなど生活環境の問題点を見て回った。

 委員16人は、ウトロ町内会役員の案内で排水路が未整備のため雨で床下浸水が頻発した場所など5カ所を回った。隣接する城南勤労者福祉会館の屋上からも地区を概観し、「買い取る土地はどのあたりか」と、市職員に質問していた。

 宇治市議会の現地視察は、2001年、05年に次いで3度目。委員らは、戦中の飛行場建設に従事した朝鮮人労働者が暮らした宿舎跡や住民が掘った井戸にも足を運び、町内会役員から歴史的な経過の説明を受けた。

   

2008年3月13日木曜日

[news] 西半分も一体でまちづくりを 宇治市会委

市が「とても絵を示す段階ではない」と答弁してると。
そうか、宇治市が「絵を示す段階」ってのがあるのか!
市がまとめやすいように、誰かが示してあげる必要があるんだろうなぁ、、。

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http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008031200196&genre=A2&area=K00

西半分も一体でまちづくりを
宇治市会委 ウトロ土地問題で


Kyoto Shimbun 2008年3月12日(水)

 京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の土地問題で、住民が買い取れない西半分も含めた地区一体のまちづくりを求める質問、要望が、12日の同市議会予算特別委員会で相次いだ。市は「とても絵を示す段階ではない」と答弁するにとどまった。

 土地問題では、韓国政府の資金援助を得た住民側が、地区東半分約1万500平方メートルを購入することで地権者と合意したが、西半分の買い取りは資金が足りず断念した。委員の1人が「東半分だけではまちづくりにならない」とただした。

 川端修副市長は「全体をどうするかはかなり先の話。東半分も所有権は移転されておらず、(国、京都府と)住環境改善を協議するテーブルについたばかり。とても西半分を含めた絵を示す段階ではない」と時期尚早との見方を示した。

 また、別の委員も「住民にとっては公的住宅の確保が最大の課題。東半分の開発では追いつかない」と西半分を含めたまちづくりの検討を市に求めた。土地問題では、協議のための地区実態調査を府と市が2月末に行っている。

 

2008年3月6日木曜日

[news] 宇治市「地域貢献」金(会長)さん表彰/asahi.com

朝日、2008年3月5日(13版)の大きなウトロ特集にはびびった! 「ウトロ 笑顔咲く春」として、6点ほど大きな写真。ミホちゃん二十歳かい!? 看板廃棄の写真もあって良かった(笑い

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http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000000803030005

宇治市「地域貢献」金さん表彰



asahi.com 2008年03月03日 写真
表彰を受け、客席から壇上を見つめる金教一さん=宇治市文化センターで

 宇治市の市政や地域社会、文化、スポーツで活躍した人らを表彰する式典が1日、同市折居台1丁目の市文化センターであった。戦時中の飛行場建設に携わった在日韓国・朝鮮人らが住む同市ウトロ地区(約65世帯200人)の町内会長を務める金教一さん(68)が地域社会貢献者の一人として表彰を受けた。

 金さんは兵庫県明石市生まれ。6歳のころからウトロ地区に住み、93年から町内会長をしている。地域社会貢献者は、自治会長を計10年以上務めた人が対象で、今回選ばれたのは12人と2団体。市は地域コミュニティーの振興に貢献したと評価した。

 代表者が壇上で賞状を受け取る時、金さんは他の受賞者と客席を立ち、壇上を見つめた。近くで妻や長男、次女、孫らが見守った。金さんは「私個人がもらったものではなく、ウトロ住民全員にもらったという気持ちです。つらい時もあったが、これからのまちづくりのステップにしたい」と話した。

 このほか、市政功労者、スポーツ賞、ジュニア文化賞に計約190人(故人含む)と14団体が表彰された。

   
 

2008年3月1日土曜日

[news] 在日朝鮮人運動史の中のウトロ/朝鮮新報

朝鮮新報で、ウトロに関して熱く記事が展開されています。

控えめに言って、、僕は、「在日朝鮮史運動」の主役が、総連、民団であったとは思っていない歴史認識に立っています。しかし、それでも尚、「確かに、総連はいつでも本気だった」と思い出す記事内容でした。

「(総連の)ウトロ同胞への支援は、日本の植民地政策によって強制連行された同胞たちの「戦後補償」、過去清算の一環であり、」 と、戦争戦後責任の問題としてウトロ問題を位置付けて支援したと述べています。「その通りだよね」 とも思うし、「仰々しい民族右翼的物言いを、生理的に受け付けない層からの溜息が聞こえる」とも思う(僕も同意する)。「ウトロの闘いをして、過去あった戦争を考察することができる良い材料となっているのなら、それは、ウトロに関わる者とすれば喜ばしいことだろう。しかし、実際、ウトロの闘いを様々なグループが、グループ自身の利害に一致するところで”支援”してきたとして、それが、グループの利害に本当に一致することが多かったかと言えば、そうでもなかっただろう」と、、、と言うのが正直思うところ。それは長く付き合ったグループを見ればわかる。漠然とした言い方で申し訳ない。

    ウトロは、その「殆ど」の住民が”強制連行””強制労働”
    からズレるところで、募集に対して労務者が集まり集落を
    作った、、、という背景を控えめに言うてますので、
    上で総連が述べている「強制連行された同胞たち」の
    「同胞たち」とは、直接的にウトロ住民を指しているのではなく、
    もう少し広い「層」に対して述べていると個人的に理解しています^^;

、、。

ウトロの闘いにおいて、左翼であったり、支援する市民グループが「運動をかき混ぜたのでは?」という突っ込みを、様々なウェブで見ることができる(党派が現場で活躍できた状況など、僕は目にしたことがないのだが)。しかし、僕が感じ、思うところは、ウトロの闘いの「思いつきで何でもあり(?)」という横つながりの市民運動の切り口があったがゆえ、様々な人が出たり入ったり関わり続けてこれたのであって、その受け皿の広さ、というか、特定の受け皿じゃ無い感じが、重要じゃなかったの? と強く思っています。ウトロに行けば、大体、他で知り合ってる友人に出会ったりするからなぁ。その「水平な関係のありよう」というのは、総連の「垂直的なありよう」とは相容れない、、、ときもある。

横と縦じゃ、ふつう噛み合わないわけです。しかしながら、「まぁまぁ、ウトロ住民のためという」一致点を共有して、北も南もなく、ウトロの住民にとって、ええ道づくりがこれからもできればいいのにね。と言いたいところです。

蛇足だけど、僕は韓国籍。しかし、民団にも総連にも属していない。多分これからも。僕の家族もそう。

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http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0227-00002.htm

在日朝鮮人運動史の中のウトロ


朝鮮新報 - 2008.02.27

既報のように、総連京都府本部では「ウトロ同胞支援募金運動」を大衆的に推し進めている。ウトロ同胞への支援は、日本の植民地政策によって強制連行された同胞たちの「戦後補償」、過去清算の一環であり、同胞の生存権を守るためのたたかいである。「ウトロ問題」が発生した歴史的背景について紹介する。【京都支局】

たたかいの歴史



民族学校として使われていた総連南山城支部

 ウトロの歴史は運動の歴史でもある。それは差別と抑圧に対するたたかいの歴史であるとともに、同胞組織が歩んできた歴史でもある。

 1945年8月15日、解放を迎えたウトロ同胞たちの歓喜の陰で、飛行場建設事業を請け負っていた国策会社幹部らは資料を持ち出し、ウトロから逃げ出した。これにより、同胞たちは何の補償もなしに、「失業者」として放置されたのである。

 解放の喜びに浸るのも束の間、同胞たちは深刻な生活苦に直面する。飛行場建設跡地は米軍により接収され、駐日米軍駐屯地が設置される。同胞たちが暮らしている飯場(現在のウトロ集落)もその接収対象となっていく(米軍が接収した地域は、現在の陸上自衛隊大久保駐屯地)。

 しかしウトロの同胞たちは、どん底の中でも団結してたたかい、そしてたくましく生活の基盤を築いていく。  ウトロ集落には、解放直後にほかの地域でもそうであったように、民族学校(国語講習所)が45年9月に自主的に建てられ運営されていく。ウトロの中で読み書きができる同胞が教師を務めた。「学校」とは名ばかりの施設ではあったが、当時通った同胞たちによると「素晴らしい」学校だったという。

町内会長を20年間務めた金教一さん

 民族学校が運営された建物が現在の総連南山城支部であり、当時の朝聯(在日本朝鮮人聯盟)の事務所でもあった場所である。現在、支部の前には住民たちが「ウトロ広場」と呼ぶ広場があるが、ここは民族学校の運動場であった場所である。

 同胞たちは朝聯を中心に固く団結し、米軍が銃剣を振りかざし、飯場跡からの立退きを武力により威嚇してきてもひるまずにたたかい、生活拠点のすべてであった集落を死守する。当時、米軍は同胞に向かって威嚇のために実弾射撃を行い、数人の同胞たちが被弾、負傷した。

 朝鮮戦争の前年である49年、朝聯組織と民族学校は強制的に解散させられた。民族学校が強制閉鎖された時、教壇を叩きながら泣いていた先生の姿が今も忘れられない、と当時を記憶する同胞は話す。

 しかしウトロ同胞たちは、戦争勃発後も祖国防衛のための闘争を繰り広げる。集落に隣接する米軍駐屯地から朝鮮への軍需物資輸送等がなされていたことから、そのたたかいは熾烈なものであった。そのような中、ウトロは戦争中の52年、二度にわたり警察の強制捜査を受けている。容疑は「スパイ容疑」である。

 55年の総連結成により、運動は新しい段階に進むことになる。朝鮮民主主義人民共和国の国際的権威と同胞愛あふれる海外同胞施策のもと、世界でも類をみない海外同胞運動の歴史を切り開いていくことになる。

 60年代中盤には支部の合併などがなされ、現在の南山城支部となり、活動の拠点をウトロに移すことになった。当時、南山城地域には宇治支部、綴喜支部、相楽支部の3支部があったが、これらが統合されて南山城支部となった。現在の支部事務所は、当時までは伊勢田分会事務所であった。

 南山城地域での在日朝鮮人運動においてウトロは常にその中心であり、また先頭に立っていたといえる。

土地問題の発生



 土地問題が発生したのは、まさに日本がバブルに突入していった時期である。

 87年の転売事件に「ある住民」が関与したこと、また最初に地上げ会社である西日本殖産を作ったのが「ある同胞団体の本部代表」であったということは、言い訳のできない事実であり、まことに遺憾であるとしか表現ができない(転売事件に関与した住民も、「ある同胞団体」の支部役員であった)。

 土地問題・転売事件に「同胞」が関与したことは否定できない事実ではあるが、その最も大きな責任を持ち、決定的な役割を果たしたのは日本行政と日産車体であると言わざるをえない。

 転売と関連して最初に行われた法律的対応は86年12月、当時の地権者であった日産車体から行政(宇治市経由で京都府)へ提出された国土法の届出である。当時、日産車体は届出書類にウトロ地区の現況を「空地・遊休地」として提出し、行政はこれを「認めた」のである(自分たちが飛行場建設に動員した朝鮮人がそこに住んでいることを知っていながらである)。この国土法の届出が受理されたことにより、後の転売は法律的に許可されたことになった。

 西日本殖産が設立されたのは翌年87年4月、移転登記が完了するのは同年6月である(国土法の時効は91年にすでに成立している)。

 こうした事実は、転売事件の「シナリオ」を書いたのが一体、誰であったのかを如実に物語っている。そしてこの事実は、歴史的に繰り返されてきた「日帝」の卑劣な手法そのものである。

 そして忘れてはならないのは、ウトロが本来、軍事飛行場建設に動員された朝鮮人労働者たちの飯場であったという歴史的経緯である。戦争中、ウトロの土地を所有していたのは当然のごとく日本の行政であった。戦後、行政が土地の所有権を「民間会社」に売却したところから「ウトロ問題」は始まっているのである。当時、ウトロの同胞たちには「当然」その事実を知らされることはなかった。

 現在まで日本各地でいわゆる「立退き問題」が提起された同胞集落は数多くあったが、そのいずれもが国有地などの公有地であった。公有地の場合、「立退き問題」は起こっても「訴訟」が起こされた事はなく、すべて安価による払い下げか、移転などにより解決している。

裁判闘争

 87年、転売事件当初の西日本殖産の設立者(=ウトロ地権者)であった、「ある同胞団体の代表」は、西日本殖産の会社ごと第三者へと転売し、その責任を回避する。

 新たに西日本殖産を買い取った地権者は89年、ウトロ住民全世帯を対象に「立退き訴訟」を起こす。司法の場において、歴史問題は取り扱われることすらなかった。単なる民間対民間の所有権訴訟としてのみ取り扱われた。ウトロ住民たちは法廷で、過去の歴史について主張したかったが、そのような場面すら用意されることはなかった。

 ウトロ土地問題が法廷に持ち込まれたことにより、総連組織はウトロ支援活動の基本を「側面支援」に転換することになる。

 土地問題の発生と時を同じくして、日本の市民たちにより支援組織「ウトロを守る会」が結成される。日本人支援者による地道な支援により、ウトロを支える支援の輪は徐々に広がっていき、強制執行を阻止するうえにおいても大きな力となる。また日本人支援組織がウトロ問題を国連(人権委員会)においても訴えたことにより、00年8月には日本政府への勧告へとつながった。

 土地問題が発生してからすでに20年という歳月が流れたが、これは決して短い期間ではない。03年には新たに「ウトロ問題を広げる会」という支援組織も結成された。ウトロの同胞たちを支えてきた日本市民たちの姿を同胞社会は決して忘れてはならない。

 00年末、最高裁の棄却決定によりウトロ同胞たちは全面敗訴となった。

 日本の司法の判決は、「ウトロ住民は不法占拠者である。すみやかに建物を壊し、土地を明け渡せ」というものであった。係争中にもウトロ同胞たちと同胞組織は幾度となく、行政への要望を行ってきた。しかし、行政は「歴史問題は65年の『日韓協定』により完全かつ最終的に終わっている」とし、一切の歴史責任を回避し続けた。

 司法による救済の道が閉ざされたことにより、ウトロ住民たちがウトロの地を守り、生きていくために残された道は、「土地を買い取る」以外にはなくなったのである。

絶望からの再起

 敗訴が確定した直後から、地権者からの「立退き通告書」が数回にわたりウトロ全住民宛に送られてくるようになった。まさに「脅迫状」そのものであった。しかし、どこにも行くあてのない同胞たちが多数いるウトロ住民たちは、「団結」しながら踏ん張り続けた。

 そんな中、大きな転機が05年に訪れる。04年秋、南朝鮮で行われた「居住権学会」に日本人支援者と共に参加し、ウトロ問題を訴えたウトロ同胞たちの姿が南の社会で大きく取り上げられたのである。その背景には、「親日派清算」など過去の「歴史見直し」の機運が高まっていたことがあった。南の活動家たちにより、ウトロ支援の世論と運動が05年春から一気に高まっていく。

 65年の「日韓協定」により「歴史責任」をうやむやにしてしまった南朝鮮当局に対して、その歴史的反省を求めると同時に、ウトロを守るための財政支援を求める世論が民間募金運動の広がりの中で大きく高まっていくことになる。民間NGO団体が行った民間募金には、現在まで約15万人が参加し、その金額は6000万円を超えている。民間募金は現在も続けられている。南の活動家たちと市民たちの運動の高まりにより、昨年末南朝鮮当局はウトロ財政支援を正式に可決した。

 総連組織は04年から町内会役員を兼任しながら、町内会のさまざまな活動を支え、団結を強めるために力を尽くしてきた。また、日本の行政への要望活動や交渉を継続的に展開し、南のNGO活動家たちと共に、この間のウトロの運動を支えてきた。

 ウトロ町内会長を20年間続けてきた金教一さんは、「ウトロが今までがんばってこられたのは、多くの方たちのあたたかい支援があったからだ。この間、絶望的にならざるをえない場面が数え切れないほどあった。今日のような時を迎えることができたのは、本当に奇跡のようなこと。この間にウトロを支援してくださったみなさんへの感謝で胸がいっぱいだ。とくに、総連が本当に厳しい状況の中でもウトロを支援する募金運動を展開してくれたことに対し、ウトロの住民は心からありがたく思っている」と話す。

 町内会長のアボジは、軍事飛行場建設に動員され過酷な労働を強いられた当事者である。

 アボジは解放後まもなく事故により他界し、オモニが女手一つで育ててくれた。1世が歩いてきた苦難に満ちた過去を思いながら金会長は次のように話す。

 「ウトロの歴史はたたかいの歴史であったし、私たちのアボジ、オモニたちの血と涙の歴史だ。その歴史は同胞組織の存在を抜きには語れない。時代が流れ、北南関係も含め私たちを取り巻く政治状況なども大きく変わった。同胞社会全体がそうであるように、ウトロの住民たちの多くが『韓国籍』を取得しているが、朝聯時代から、私たちの心の中心にある民族心と愛国心はまったく変わらない。一昨年に脳梗塞で倒れた金善則顧問をはじめ、総連の活動家たちが半世紀にも渡り、ウトロのため、同胞のために尽力されてきた歴史を私たちは決して忘れない。昨年12月、集会に参加された金顧問がも語っていたが、本当にこれからも一生懸命がんばってこのウトロを守っていく決意だ」

 私たちの歩みは、その一日一日が歴史である。

 「私たち同胞組織の使命は、同胞たちの生命と財産を守ること。そしてそのことは過去の歴史問題と常に直結している。過去の歴史を正すことができなければ、本質的な意味で同胞たちを守ることはできないし、本当の未来は築けない。ウトロ問題の最も重要な本質は歴史問題であり、それは即ち1世たちの『恨』を晴らすことだ。土地問題の解決はその長い道のりの中のひとつ。私たちには命をかけてでも、また代を継いでも、果たすべき使命が残っている」

 倒れた金顧問の後を継いで奔走する、総連支部の現役活動家の言葉である。

[朝鮮新報 2008.2.27]



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(以下、青ひょん)

「ある同胞団体の代表」って言うたって、文脈から「総連サイドではありません」ということを遠まわしに言ってるんだし、この間、メディアで実名で載ってしまって以降は、「まぁ、うち(総連)とは関係ないし言ってもイイだろう」みたいなニュアンスが不可読みできそうで、気分は良くない。

その他、色々と思うところは多々あるんだけれど、偉そうなことを言える仕事をしていないのでやめておく。

それでもなお、総連は、本気だったよな、と強く思うところ。

2008年2月29日金曜日

[news] 実態調査開始  府と宇治市 住環境整備策で/京都新聞など

2日間で、調査員4人で70軒??
大変すぎるー、ただでさえ面倒な物件やのに、気の毒すぎる、、、^^;

成果物が早ぅ見たいです。

町内会長も高齢者が増えてると話してはるね。
僕もこないだのTV放送見ても感じたけれど、ここ10年で、めっさ高齢化すすんでる気がする。体感的に。
最近、ウトロとベッタリ付き合えてないが故にそう思うのかな、、。

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http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080229k0000m070151000c.html

記者の目:在日コリアンが暮らすウトロ地区=新宮達


毎日新聞 2008年2月29日 0時09分

(略)

そんな状況の中で、ウトロの住民は日本人にも支援を呼びかけて新たな募金活動を展開し、賛同した人々もいる。国土交通省と京都府と宇治市も「ウトロ地区住環境改善検討協議会」を設立、日本側も行政主導で土地買い取り後の町づくりに向けて動き出している。

 だが、2月20日までに、府に寄せられたメールや電話25件のほとんどは反対意見だ。「裁判で決着がついたのに、なぜいまさら民間同士の土地問題に税金を投入するのか」といった意見を中心に、「日本の責任」を強調する韓国側へのアレルギーが垣間見える。

 ウトロ住民の中には、「父母らが強制的に連れてこられた」という人がいる。一方で、彼らは日本側の支援がなければ解決に向けて前進しないことも知っている。「責任問題」にふたをする必要はないが、ウトロ地区形成の経緯を踏まえ、同じ日本に暮らす人間として、彼らを長年の苦難から一刻も早く解放することだ。まずは感情のわだかまりを越えて、募金への協力と町づくりへのスピードアップを図るべきだ。(学研・宇治支局)

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http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002813.html

ウトロ地区、初の調査開始――京都府・宇治市


日経ネット関西版 - 2008.02.28

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http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200802280038.html

ウトロ地区に初の実態調査 京都府と宇治市が戸別訪問


朝日新聞 - 2008.02.28

 戦時中の飛行場建設にかかわった在日韓国・朝鮮人らが住み、住環境の整備が遅れている京都府宇治市のウトロ地区で28日、行政による初の実態調査が始まった。住民らによる土地半分の買い取りにも道筋がつき、地区の新たなまちづくりに向けた第一歩となる。

 同地区は国勢調査も行われてこなかった。府と同市の職員4人が、町内会役員らの案内で午前9時半から各戸を訪問。事前に配布していた家族構成、住み始めた時期、上下水道の整備状況などの調査票を回収しながら、住民らに「雨水が住宅へ浸水したことはありますか」などと聞いた。

 同地区は約2万1千平方メートル。土地の権利は戦後、国策会社から民間に引き継がれた。04年の住民支援者の調査では65世帯、約200人が暮らしているとされる。

 住民らは昨年10月、韓国政府などの支援表明を受けて、地権者から土地の半分を買い取る契約を締結。行政に対し公営住宅の建設など住環境整備を求め、国や府などでつくる「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が調査を決めた。

 ウトロ町内会の金教一(キム・キョイル)会長は「高齢者が増え、1世の男性はもういなくなった。できるだけ早くまちづくりを進めてほしい」と話した。

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http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008022800079&genre=A2&area=K20

ウトロ、実態調査開始
府と宇治市 住環境整備策で


京都新聞 - 2008.02.28

調査票をもとに質問に答える住民(左)=宇治市伊勢田町ウトロ地区

 宇治市伊勢田町ウトロ地区の土地問題で、国、京都府、宇治市でつくる「住環境改善検討協議会」は28日、行政による初の地区実態調査を始めた。府と市の職員4人が午前9時半から、在日韓国・朝鮮人らの住民と事業主を戸別訪問し、居住歴や家屋の浸水被害の有無などを調べた。

 調査は、協議会が公的住宅建設などの住環境整備策を検討する基礎情報を得るのが目的で、民家、事業所合わせて約70軒を対象に2日間の日程で始めた。

 住民らには事前に▽居住開始時期▽飛行場建設に従事した人の有無-など15項目についての調査票を配布してあり、職員は、調査票を回収するとともに、要望などの聞き取りをした。建設業などの事業所では、建物の所有状況や住み込み従業員の有無などを尋ねる調査票を集めた。地区内の空き家も調査した。

 住民からは「地区を整備することになっても、父の代から使っている井戸は公園などに残してもらいたい」との声が出た。協議会は、早ければ3月中にも結果をまとめ、次回以降の議論に生かしたいとしている。

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YTN

일본 정부, 우토로 마을 첫 실태조사



http://ytn.co.kr/_ln/0104_200802291749082448

2008年2月26日火曜日

[news] 京都・ウトロ同胞支援募金運動 青年、学生らが先頭で/朝鮮新報

総連サイドの若い人、募金活動とのこと。
民団サイドでは、、、、、、、むつかしいんだろうねぇ。

携帯電話用ホームページ

うーん、url わからんなぁ。

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http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0225-00001.htm
[朝鮮新報 2008.2.25]

京都・ウトロ同胞支援募金運動 青年、学生らが先頭で



既報のように、総連京都府本部では「ウトロ同胞支援募金運動」を広範に展開している。「ウトロ同胞支援募金運動」は、日帝の植民地政策により強制連行された同胞たちの賠償問題、過去の清算問題の一環であり、同胞たちの生存権を守るためのたたかいだ。現在、京都の青年、学生らが同胞の生活を守るためこの運動の先頭に立っている。

 京都では、以前から若い世代の団体がウトロ支援事業を展開してきた。2005年8月15日、ウトロで行われた行事では、朝青、留学同、「韓青」「韓学同」が賛同する「ワンコリア青年学生協議会」が祖国統一を祈願し、ウトロ同胞を慰労する歌を披露。この様子は南朝鮮でテレビ放送された。

 また06年には同協議会が「ハン・コリア in ウトロ」を開いたことにより、ウトロ問題に対する社会的世論が高まった。

 朝青は、今回の募金運動が始まると直ちに、すべての支部で会議を開き、各種資料と映像で学習を行い、全組織的な運動として展開する態勢を整えた。また同盟員の家々を訪問し協力を呼びかけるとともに、募金に関する携帯電話用ホームページを制作し幅広く伝えてきた。

 留学同は、卒業したメンバーらにも呼びかけ募金活動を展開。13、17の両日には、同胞学生と日本の大学生らがともに、雪のなか京都市の四条河原町交差点で街を行き交う市民らに募金を呼びかけた。

 募金活動に参加したある学生は、「日本が戦後補償を怠ったため、60年が過ぎた今日に至ってもこうした問題が未解決のままで残っている。ウトロ問題をもっと広く伝え、より多くの人たちに支援してもらえるようにがんばりたい」と述べた。【京都支局】

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http://webnews.asahi.co.jp/abc_2_007_200802264001021.html
ABC WEBNEWS (2/26 17:47)

<京都>ウトロ地区土地問題で朝鮮総連が募金手渡し



在日韓国・朝鮮人の住民が住み続けるため、地権者に5億円を支払わなければならない京都府宇治市のウトロ地区。きょう、全国から集まった募金が届けられました。

朝鮮総連京都本部は、全国に募金を呼びかけ、今までに、400万円がウトロ地区の住民に、渡されていましたが、今回新たに1200万円の募金が手渡されました。宇治市のウトロ地区は、戦争中に飛行場建設に動員された在日韓国・朝鮮人が土地所有権のないまま住んでいました。しかし、地権者から立ち退きを求められたため、去年10月、韓国政府の支援を得た住民側が地区の土地半分を5億円で購入することで合意しています。住民支援のため今回は2000人以上の人が、寄付してくれたということです。

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http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0303-00002.htm

総連京都、ウトロ住民に募金伝達 住民ら「感謝の気持ちでいっぱい」


[朝鮮新報 2008.3.3]

各地総連、同胞の同胞愛で

多くの報道陣が見守る中で募金が手渡された

 京都・ウトロの同胞たちを支援するために集められた募金が2月26日、総連京都・南山城支部会館で多くの報道陣が見守るなか、ウトロ町内会の金教一会長に贈呈された。総連京都府本部の金学福委員長が代表して、総連各機関、各地の同胞からの募金1200万円を手渡した。

 席上、総連京都府本部の琴基都副委員長は、昨年10月にウトロの土地売買契約が結ばれたが資金が不足していると聞いて1月20日から募金運動を展開、一カ月という短い期間ながらも総連の各機関と数千人の同胞らが賛同し、とくに若い世代が運動の先頭に立った結果、募金総額が1200万円に上ったと報告した。

 金学福委員長から募金を受け取った金教一会長は「総連については、支部の活動家をはじめ組織的に常に多くの支援を受けている。これまで二度も支援金をいただいたうえ、今回も全組織的に募金運動を展開していただき、感謝の気持ちでいっぱいだ」と述べた。

 この日、夜に行われたウトロ住民集会では、総連の募金運動について報告された。募金を目にした参加者からは拍手が沸き起こった。

 今回の募金運動は、1月20日から2月20日までの短い期間に集中的に行われた。経済状況が厳しいなか、朝鮮新報紙面(1月22日付)を通じて募金運動が提起されると、すぐにさまざまな機関と同胞から募金が送られてきた。なかにはウトロ同胞を支援し真の解決を願う温かい激励のメッセージもあった。

 関係者らは、総連と同胞の温かい同胞愛によってウトロの住民たちに喜びと希望を与えることができたと語った。【京都支局】

2008年2月17日日曜日

フィールドワーク+トック。ウトロ玄関の看板の今。

先日、一日に3団体のフィールドワークがありまして、守る会(サイトウ)大忙し。というわけで、ウロウロついて行きました^^;

表の看板類は、先日のTV特集(毎日放送)にあったように、雰囲気を変えました。

とりあえず、前の妙に古風で威圧的な意匠と比べると、ずっと良い!

 味わいは、どうだろうね。率直なところ近所の人はどう思ってるんだろうね。


正面の建物は入り口にあったばっかりに! えらいことになってしまいました。僕は、看板撤去作業とかに参加しなかったんだけど、もしかして、この建物って、看板で”補強”されてるんじゃなかろうな?^^; 看板はずしたら、崩れ落ちるとか、、。

ガッシリとタテ看が建物を覆ってしまうよりも、
少し家屋の様子が隙間から見えるほうが
雰囲気が出てて良かったんだけどなぁ、と思った。


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ちなみに、少し前の看板。(ハンギョレ新聞(2007.08.30)より)
そんな記事があったんだね。知らなかった。
住民の「強制執行に対する恐怖」が出てるというより、単に、恐い写真になってる気がするぞ!


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毎回フィールドワークの際に、おそらく、足を止め説明があるであろう、飯場跡周辺


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とても寒いなか、大勢が訪問するということで、住民からトックが振舞われました!! 準備してくれはったアジメたち、本当にありがとう。こんなん最初で最後やなぁ。


お、キンデンが電気工事してるなぁ、、、。と思うと、関西電力の eo(イオ)光の工事でした。へぇ、敷設しておくんかいな!>関電

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寒い一日でしたが、僕も息子も、温かい部屋でトックやキムチをたくさんご馳走になり、すっかり満腹になってしまいました^^;

いかんなぁ。もらいすぎや。

ちなみに先日、厳本さんから「ソウル行ってくるわ」と聞いてた町内会の韓国行きは、とりあえず止めになってたそうな。

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2008年1月31日木曜日

[news] ウトロ全世帯調査、府と宇治市、人口など把握へ/京都新聞

行政の実態調査が2月末に入ることに。さすがに年度内に行われるんだなぁ。宇治市と京都府どちらも職員を出すそうです。ほぉ、京都府も来るのか。気苦労多いかもしれませんが、がんばってね。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008012900189&genre=A2&area=K20
Kyoto Shimbun 2008年1月29日(火)

ウトロ全世帯調査、2月末にも
府と宇治市、人口など把握へ


京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の土地問題で、国土交通省、京都府、同市でつくる住環境改善検討協議会の幹事会は29日、行政による初の地区実態調査を早ければ2月末にも行うことを決めた。人口、年齢構成など基本情報を聞き取る。

 調査は、地区の全世帯を府、市の職員が訪問し、人口、年齢構成、性別など10項目前後を確認し、実態を把握する。水道、ガスなど住環境面についても質問するとみられる。実施時期は2月末から3月上旬にかけての間に1週間程度で行い、3月中に集計する。

 ウトロ町内会は2006年10月に調査実施を求める要望書を市に提出している。29日の幹事会決定を「まちづくりに向けた具体的な動き」(厳明夫・同町内会副会長)と歓迎し、調査に積極的に協力する方針を示した。

 土地問題では昨年9月、韓国政府の支援を得た住民側が、地区東半分約1万500平方メートルを購入することで地権者と合意。住環境改善検討協議会が昨年12月に発足し、実態調査を行う方針を示していた。

 住民支援団体「ウトロを守る会」が04年に行った調査では、地区には65世帯203人が住み、65歳以上人口は市平均より3・6ポイント高い19・2%。より高齢化が進んでいるとみられ、町内会は住宅と併わせて福祉施設の建設を求めている。

     

2008年1月25日金曜日

[訃報] 文光子さん(88歳)/守る会事務局

各位殿

ウトロの在日1世 文光子さん(88歳)がお亡くなりになりました。
やっと、土地問題解決の展望が見えてきたのに本当に残念です。
とりあえず、お通夜・告別式の日程をお知らせいたします。
お通夜 1月26日(土) 午後7時
告別式 1月27日(日) 午後1時
場所は、いずれも 宇治市槇島  
「セレマ 槙島シティーホール」です。

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ウトロを守る会事務局
吉田泰夫

2008年1月20日日曜日

[news] ウトロ・置き去りにされた町 /毎日放送(報道TV特集)

毎日放送が特集番組を放送するようです。

■毎日放送「映像'08」「ウトロ・置き去りにされた町」

日 時:1月20日(日)24:15~25:15
http://www.mbs.jp/eizou/

ウトロ・置き去りにされた町



2008年1月20日 24時15分ー25時15分  いつもより15分早くなっています。
京都府宇治市のウトロ地区。戦争中は京都飛行場の建設工事に集められた朝鮮人労働者の居住区域だったが、戦後は放置され現在も200人がここで暮らしている。戦後60年、この間、立ち退き裁判が起こされたり、住民が買い取る動きなどもあったが、行政は傍観を続けた。今年10月、韓国の国会で、ウトロ支援のために4億円の予算が上程されるにおよび、ウトロは突然注目を集めることになった。ウトロに暮らす人々の日常を追った。



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【追記】青ひょん 2008.1.22

関西のご近所さん、ブログへのコメントありがとうございます。

昔の映像が懐かしかったです。

昔の映像を、現在の住民が見て感想を述べる、、、なんて演出が出来るような状況になったんだね。本当に状況が動いたんだね。よかった。

「それほど昔のことじゃない」と思っているのに、映像見るとみんな若くて、、。それほどの時間が経ったのかと不思議な気持ちになりました。

年輩の方にとっては今から難しいやろうけど、「タバコの代わりにアメちゃんでもなめて、節煙、禁煙しーやー」と、いつものことながら画面にツッコんでました。

映像も綺麗かった。実際のウトロの、あるリアルな瞬間だと思った。随所に出てくる、町内の俯瞰画像や、空撮に色塗り併せる演出なんかも、上手で(失礼^^;)、イヤミなく、本当に「ありがとうございました!」と思いました。見ててこっちの涙がボロボロ出てくる場面や、「おぉ、撮ってくれてありがとう」な場面も幾つもあり、和やかな気持ちになりました。

これ、番組的に面白いもんになってるのかどうかは、客観的に見れなくて、よく判らん。よく判らないけれど、今までのウトロの報道番組とはエエ意味で少し違う気がしました。ありがとう。

2008年1月16日水曜日

[news] 「新看板設置」「金善則顧問に町内会が感謝状」

そうか、新しい看板を描いたんだねー。記事の写真だけで実物を見てないので、雰囲気がちょっと判らん^^;

12月初旬の会でプゥウィオンヂャンのお顔を拝見できたのは、うれしかったです。

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http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008011500037&genre=K1&area=K20
Kyoto Shimbun 2008年1月15日(火)

共生を願ってハートの地球
新看板設置 ウトロ町内会



(ウトロ地区の入り口に掲げられた新たなまちづくりに向けた看板(宇治市伊勢田町) )

 在日韓国・朝鮮人が多く住む宇治市伊勢田町のウトロ町内会が14日、新たなまちづくりに向けた看板を取り付けた。雪が舞う中、住 民らが「高齢者や子供に優しく安心して暮らせるまち」などの文言を掲げ、周辺地区の住民との共生をテーマにした絵を描いた。

 同地区はこれまでから続いていた土地問題に一定の区切りがついたことから、昨年末に「強制執行反対」などと書かれた看板を撤去し、まちづくり構想を盛り込んだ新しい看板の設置を進めていた。

 同町内会の住民ら約20人が参加し、「ウトロの歴史を継承していくための歴史記念館や府民が利用できるコミュニティーセンターの建設」など住民の思いを記したシールを張り付けた。

 地区北側の入り口には、立命館大4年で在日三世の朴玲実(パクヨンシル)さん(22)とハイ悠(ペユウ)さん(23)がハート型の地球の下で、人々が民族の壁を超えて肩を抱き合っている絵も添えた。町内会は2月にも新たなメッセージや絵を加え、すべての看板を完成させる。

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http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0115-00001.htm
朝鮮新報 2008.1.15

総連京都・南山城支部 金善則顧問にウトロの同胞、町内会が感謝状



京都府宇治市ウトロ地域の同胞と町内会が12月9日、ウトロ住民集会を開き、40余年間ウトロを守るために献身してきた総連京都・南山城支部の金善則顧問(82)に感謝状などを手渡した。

 集会に参加した同胞と住民、日本市民らは表彰された金善則顧問に感謝の気持ちを伝えながら、大きな拍手を送った。

 総連南山城支部会館は、ウトロの中心に位置している。総連は解放直後からウトロに朝鮮学校と支部事務所を置いて、こんにちまで地域同胞とともに暮らし、ウトロを守るためのたたかいを導いてきた。とくに、金善則顧問は40年以上にわたって総連支部の活動家として同胞のためにすべてをかけて活動してきた。

 ウトロ地域の住民は、総連と民団という団体の違いを乗り越えて、誰もが問題が起きたときには顧問を訪ねて相談し、顧問も彼らを誠心誠意支援した。そのため、地域の同胞たちはもちろん、彼らを支援する日本市民も金善則顧問を心から尊敬している。

 ウトロには、日本の植民地時代に軍用飛行場の建設に動員された1世たちの血と涙が染み込んでいる。戦後長きにわたって同地域は地方自治体と政府による各種の社会経済的施策の適用から除外され、初歩的な生活権すら保障されずあらゆる差別を受けてきた。

 ウトロの同胞たちは、過去に行われた土地裁判(1989~2000年)の不当な判決により、「不法占拠者」のレッテルを張られ生存の権利と居住権を奪われたばかりか、いつ「強制退去」させられるかわからない不安と恐怖の中で暮らしている。

 総連南山城支部の活動家と同胞、支援者らは、「団結して最後までたたかおう」と地権者との土地一括売却交渉のために、生活保護世帯と高齢者が多い中でもできることはすべてやり、地道にたたかい続けてきた。そんな折の2年前、金善則顧問は脳梗塞で倒れた。

 総連京都府本部と支部の活動家たちは、闘病生活を続ける金善則顧問に代わってウトロ問題と関連して同胞たちとの連携を深める一方、各地に「ウトロ支援募金活動」を訴えて支援金を集めるなど、実践を通じてウトロの同胞たちの力になってきた。

 今回の集会は、最近に入って問題解決の糸口が見え始めた現況を報告し、これまでの功績を称え感謝の意を伝えようと住民たち自らが感謝状などを手渡そうと提起し行われた。

 金善則顧問は涙で頬を濡らしながら、「これからも一生懸命仕事をして、ウトロを守っていこう」と語った。

 「強制退去」の危機を乗り越えたウトロの同胞たち。その中には、40年以上の間、同胞とともにウトロを守る運動の中心にいた金善則顧問の姿があった。【京都支局】

2008年1月15日火曜日

[news] 住民が中村地区を視察 /Kyoto Shimbun

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008011300115&genre=C4&area=K20
Kyoto Shimbun 2008年1月13日(日)

居住権保障問題で先例を学ぶ
宇治・ウトロ住民が中村地区を視察


(公営住宅の前で中村地区自治会役員の説明を聞くウトロ住民ら(兵庫県伊丹市) )

 在日韓国・朝鮮人の居住権保障が問題となっている京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区の住民12人が13日、同様の問題に直面していた兵庫県伊丹市の中村地区を視察した。問題解決へ向け、住民が行政と連携し公営住宅建設に至った経過の説明を聞き、立ち退きが進む地区内を見学した。

 中村地区は国有地、ウトロは民有地と違いはあるが、両地区とも戦時中の飛行場建設に従事した朝鮮人の作業員宿舎があった点で共通している。2001年に設置された国や県、伊丹市などでつくる協議会と同地区自治会との話し合いで、住民の集団移転先に公営住宅を建設することで移転補償が実現し、今年3月には移転が完了する。

 ウトロ住民の訪問は06年5月以来2度目で、視察に先立ち丹山判同・中村地区自治会長(64)が立ち退き問題の発生から公営住宅建設が実現するまでの流れを説明。「住民が団結したことが、行政を動かす決め手になった」と振り返った。

 続いて、地区内の飛行場建設の際に使われたトロッコの線路跡や真新しい公営住宅などを見学。大阪空港に隣接しており、参加者は、時折響く飛行機のごう音に驚いた様子だった。ウトロ町内会の厳明夫副会長(54)は「周辺地域にもメリットのあるまちづくりをするという考え方がとても参考になった」と話した。

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中村は職場から近いんだけど、ほとんど訪ねられてない。その節は大変お世話になりました。>jazz喫茶にて

2008年1月7日月曜日

[news] 日本人の寄付支援、続々 /毎日.jp

「寄付金は郵便振替で「ウトロ町づくり協議会」(口座番号00940-2-106152)」へ、、とのこと。

紹介だけして、まだ、僕は振替できていないのですが^^; はよせな。

あと 5000万?4000万?2000万? 5億の契約の詳細なところは知らないんだけど、なんか本当にリアリティが増してきたねぇ。

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http://mainichi.jp/kansai/news/20071230ddn041040030000c.html
毎日.jp
毎日新聞 2007年12月30日 大阪朝刊

京都・宇治のウトロ地区:日本人の寄付支援、続々 なお5000万円不足



土地所有権のないまま住み続けてきた在日コリアンを支援するため、韓国政府が土地買い取り資金の支援を決めた京都府宇治市のウトロ地区に、日本人からの寄付が相次いでいる。これまでに約200万円が寄せられ、更に増える勢いだ。地区の全65世帯も10万円ずつの拠出を決めたが、必要額の1割に当たる約5000万円がまだ不足。支援団体や住民側は今後、更に募金活動を本格化させる。

 ウトロ住民は10月、大阪市の不動産会社から地区の東半分約1万500平方メートルを5億円で買い取る契約を結んだ。一方、これまでに見通しがついた資金は、韓国政府の予算約3億6000万円のほか、韓国国民の寄付約6000万円、在日1世の匿名男性による4000万円など。

 地元の支援団体「ウトロを守る会」によると、これに加えて日本人の寄付も続々。買い取り契約締結後の11月上旬には、京都市の60代男性が「両国政府より先に何か支援をしないと申し訳ないと思った」と言い、銀行から下ろしたばかりの100万円を持参した。

 他にも約20人から現金が寄せられ、数百万円の申し出もあるという。

 寄付金は郵便振替で「ウトロ町づくり協議会」(口座番号00940-2-106152)へ。

【新宮達】

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http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2007/12/29/20071229ddn041040048000c.html
毎日.jp
毎日新聞 2007年12月29日 大阪朝刊

京都・宇治のウトロ地区:韓国支援可決 本国での訴え実る 住民ら、全国会議員に手紙



 韓国国会が28日、30億ウォン(約3億6000万円)の支援を決めた京都府宇治市・ウトロ地区の土地買い取り問題は、住民らが本国をたびたび訪れ、苦境を訴えてきたことが解決のきっかけになった。「自分の土地で安心して暮らしたい」。念願がいよいよ現実味を帯びてきたウトロでは歓声が上がった。

 金教一(キムキョウイル)・ウトロ町内会長(68)らは28日夜、集会所などに集まり、吉報を首を長くして待機。午後10時ごろ、支援金の実現に尽力したNGO「コリア・インターナショナル・ネットワーク」(KIN、本部・ソウル)のメンバーから電話が入ると、金会長は笑顔で「カムサハムニダ」(ありがとう)と繰り返した。

 深夜の会見で、金会長は「夢みたい。ほんまにうれしい」とうっすら涙を浮かべ、「20年間の闘いの間、多くの1世が亡くなった。残る1世が生きているうちに何とか公的住宅が一つでもできれば」と期待を示した。

 韓国でウトロに注目が集まったのは04年秋、在日2世の住民女性4人が春川(チュンチョン)市で、強制立ち退きのピンチにあることや劣悪な住環境に悩まされていることを訴えてからだ。これに反応したのがKIN。05年夏には募金活動を始め、延べ14万人から約5億ウォン(約6000万円)を集めた。

 土地買い取り契約を前にした今年7月には金会長ら9人が訪韓。青瓦台(大統領官邸)に地区の世帯数に当たる65本の赤いバラを贈り、全国会議員299人のボックスにもバラを1本ずつ添えて手紙を入れた。集会で「ウトロは1世の気力と血と汗が作り上げた土地。闘いに力を少し貸してください」と呼び掛けると、感動して泣きながら住民に抱きついた国会議員もいた。

 この時、訪韓した黄順禮(ファンスンレイ)さん(75)は「ウトロが韓国でこれほど注目を集めているとは思わなかった。『うれしい』の言葉しか見つかりません」。KINの〓徳鎬(ペドッコ)代表(38)は「支援金を実現させたのは、募金に参加した数え切れない市民の良心、念願、そして力です」と喜んだ。

【新宮達】

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http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2007/12/29/20071229ddn001040003000c.html
毎日.jp
毎日新聞 2007年12月29日 大阪朝刊

京都・宇治のウトロ地区:支援、3億6000万円 土地買い取り、韓国国会可決



 土地所有権がないまま、戦時中から京都府宇治市・ウトロ地区に居住する在日コリアンらの土地買い取りを支援するため、韓国国会は28日、支援金30億ウォン(約3億6000万円)を盛り込んだ08年度予算案を可決した。「ウトロ問題」は、韓国政府による在日同胞への資金援助という異例の方策で全面解決の道筋がついた。

 ウトロの土地は、87年に大阪市の不動産会社が購入。土地明け渡し請求訴訟で00年に住民側の敗訴が確定し、立ち退きの危機にさらされていた。

 しかし、今年10月、住民が不動産会社から東側半分(約1万500平方メートル)を5億円で買い取る契約を締結。支援金は韓国NGO「コリア・インターナショナル・ネットワーク」(KIN)が集めた約6000万円の寄付や地区に贈られた4000万円の匿名寄付などと共に買い取り費用に充当される。

 日本でも今月5日、国土交通省と京都府、宇治市が「ウトロ地区住環境改善検討協議会」を設置。在日コリアン住民の公的住宅への集団移転が実現した兵庫県伊丹市中村地区などを参考に、住環境整備に向けての課題を話し合うなど、行政主導による町づくりが進みつつある。

 【新宮達】